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2023.12.16 今年9回目の富山★志の輔のこころみ310


【前説】

だら~ず山下さんによる恒例の前説。
必ずスマホは電源から落としてくださいと。11月までは会場内に電波を遮断する電波を流していましたが、師匠がもういいだろうというので、今月からは契約をしていません。だから、電話が掛かってきたら、鳴ります!お客さんのマナーにかかってます。
先月のてるてる亭の公演がYouTubeにアップされていました。いいですか?みなさん4500円払って聴きに来ているのに、お金も払っていない人がタダで聴くんですよ!許せないでしょう!
またあったら、私、カメラの被り物をして、もう1人トランプの人連れて出てこなければなりません!
NO MORE 映画泥棒ならぬNO MORE 落語泥棒です!


ほほほほほーい!!
なお、録音機材など使わない脳みそ一発記憶力のみ!

■一席目:バールのようなもの

柿色の長着と羽織

15周年でいただいた座布団ですが、座り心地が良くないです。新しい座布団をいただいた喜ばしい気持ちと、座り心地の悪さという…なんとも不思議な気分ですな。
座布団の方もまだ慣れてませんよ「座るの?」って思ってますよ。

さっき、だら~ず山下くんが言ってましたが、ここのてるてる亭での公演をYouTubeにアップした人がいたそうです。
そういうことはして欲しくないと思っています。
ここでは、ぼやきや愚痴を言ったりしています、それがグローバルに拡散されてしまったら、少しは衿を正さないといけなくなります。
まあでもこうして話をしていると、誰がそういう録音や録画をしているのかっていうのはある程度分かるんですよ。
そういう人は笑わないんですよ。笑うと自分の声が録音されてしまうから。

録音して自宅に持って帰って、家で一人で繰り返し聴いて楽しむというのなら、理解もできるんですが、それをアップしてどうするんだ?なにが楽しいんだ?世の中には理解できない人が多いですな。あちこちからYouTubeにアップされていると聴きました。
落語家には落語家のマナーがあると思ってやっています。
お客さんにはお客さんのマナーがあると思ってやっています。

開口一番の弟子が、あれが四番目でそろそろ真打にしなければならない。別にならなくたってもいいですよ。真打になるかならないかは本人の気持ち次第であって、私がなれというものでないし、なるなと止めるものでもない。
なんで真打というようになったのかというのは11月に来たお客さんは知っとられるが、来ていなかった人のために説明すると寄席の最後に蠟燭の火の芯を打つという役目で芯打ちと言っていたが、その後電気が発達してきて、それじゃあおかしいだろうという事で、「真打」というようになりました。

これは江戸だけのもので、大阪にはありません。大阪では20年経ったらとか弟子が出来たら師匠となるようです。
今は真打になっても変わりはない。昔は寄席があったから、真打や二つ目前座という位ごとにギャラが違っていた。位×人数だったから、皆少しでも早く上の位になりたいと思っていた。でも今はそうじゃないから真打になっても変わりはない。
ただ落語を知らない人でも真打という言葉は知っているから、「あ、真打なんですね!」とは言われる。
来年ここで真打の口上をするかもしれなし、しないかもしれない。でもそれは私ににもわからないことです。

私は談志の弟子になって7年目にハイヤーの中で「お前、来年真打になれ」と言われました。
そして、山手線の全駅で大きなトラックの屋根が開くやつで、駅のターミナルで落語をやるぞ!俺もやるぞ!って、何言ってんだこの人って思いましたねえ。
まだ色々とチャレンジしたいことも沢山あったので、本当はなりたくなかったけれど、口では「かしこまりました」と言ってました。
でも駅前のターミナルのところなんて、選挙の人でも警察とかに相談して、やっと人の邪魔にならないところで、街頭演説をやるんですから、どこの駅に相談しても全部断られて、それを談志に言ったところ「なんだJR!」ってわけのわからないこと言ってましたねえ。

寄席を出て、話をするところは自分で探せ!というので、色々なところで仕事をしていると、「そんな弟子に育てた覚えはない!」というし、何もしていないと「なんで何もしないんだ!」そんな風に言う…素晴らしい人でしたな。

先日よみうりホールで談志の直弟子が集まって昼夜公演で、追善公演をやりました。私は今年は夜のトリでした。
あんなにも早くあっけなくいってしまうとは思ってもいませんでした。それからの13年もあっという間でした。追善公演ができて良かったと思っています。

あの頃、落語というのは寄席だけしかなくて、今のような独演会という方法はありませんでした。
たまに新春寄席といって、何人かで各地に出向いてやるだけです。そんな落語なんて1回聴いただけじゃ覚えられないような芸能を年に1回聴いて、翌年覚えているわけがないんです。
このままでは落語はなくなると思って、この先の落語のことを予言し、こうなるんだと言っていた談志の言葉が現実となっています。
そして、談志は落語をやらない「談志の話を聴く」というスタイルも確立させました。
私もやってみようかなと思いますが、どうなるかわかりません。

談志師匠のおかみさんはのりこさんといって、談志師匠はのんくんと呼んでましたな。
談志師匠が「そろそろ掃除をしたらどうかね」なんていうと「でもほこりをうごかしているだけで、ほこりがいなくなるわけじゃないからいいのよ」なんていう、どっちが落語家だみたいなそんなおかみさんです。
そんなおかみさんだったから弟子でいられたのだと、特に兄弟子たちなんかは言ってましたな。
追善公演の時にもおかみさんと挨拶をしましたが、(まだ談志さんが存命の時の)暮れの挨拶にいった時に、のんさんが「私、JRの?みどりの窓口が好きだわ」と言ってくれて、その後談志師匠が「ああ、俺は親の顔がいいと思ってるぞ」と言われて、師匠も私の新作を聴いてくれていたんだと嬉しく思った記憶があります。

談志はあんなに名人の名を思うままにしていたのに、志ん生になりたかった。あのひとの生きざまに憧れていた。
関東大震災の時に揺れに揺れているのに家族を家に残して、すっとんで外に駆けだしていって、酒屋に行って地面に飲まれちゃたまんねえと酒を呑んでいたり、高座に上がってお辞儀をしたところで、そのまま動かない…そのうちいびきが聴こえてきて、前座が駆け寄ろうとするとお客さんが「寝かせといてやれよ」というようなそんな人に憧れていたんです。

そして落語になりたかった人です。
自分が落語家で落語をやっているのに、落語になりたいと思っていた人です。
(中略)
そして最後の出版した本が「落語は俺だ」という本です。

談志師匠の弟子で良かった。
談志のところでなければ、途中で落語を辞めていたかもしれない。

バールのようなもの
もうひたすら笑うしかない話。これを聴いたらニュースで「バールのようなもの」って聴くと、志の輔さんしか浮かばない💦同性ですけど私も叶姉妹見たら、おっ…って言いそう(;・∀・)

■仲入り(10分・トイレは断念してアンケートをしたためる私)

■二席目:井戸の茶碗 

黒の長着に袴姿

巣鴨に小さなスタジオがありまして、70人位のスペースで10年位前からですかな、そこで落語をしていました。
そこはご夫婦でやっているスタジオで奥さんがベース、旦那さんがサックスだったかな…音楽好きが高じて自分たちの演奏スペースを作りたいという事でスタジオをこしらえました。何回か演奏会をして気がついたんでしょうな。どうしてこんなスタジオを作ったんだろうって。そりゃあプロのミュージシャンではないですから、そんな毎日ライブをやっているわけじゃないので、ライブのない日はただのコンクリートの部屋なんですわな。
そのスタジオフォーの奥様と私の鉄の先生が知り合いで…その頃鉄で物を作るということをしなければならず、長野県に習いに行ってました。そんな縁で、鉄の先生にスタジオフォーで落語をやってくれない?と言われて私はそこで落語をやることになりました。
なんにもないスペースだったので、今日は高座をこっちにしてみよう、あっちにしてみようなんて試行錯誤をしてやって来ていましたが、コロナがあって、もうちょっとそこではごめんねとやらなくなってしまったので、今一番小さい場所がここてるてる亭となっています。スタジオフォーでは談志の孫弟子に当たるような弟子たちが寄席をやるようです。

てるてる亭は小さいと言っても昼夜各250人で少ないなんて、おごりに思う方もいるかもしれませんが、今始まったことではなく、そういうことがあって今があるということなんですよ。

そういえば先日石川県の観光誘致で、石川県の形があるものに似ているというのをやっていて、なんだろうと思ったら、蟹の爪の形!あの形に似ていると。で、良く見ていると富山県ちゃー蟹の甲羅のようにも見えるちゃ。爪と胴体で一緒にキャンペーンすればいいがちゃ…って思いながら、なんでこんな話をしているのか自分でも困っているちゃ。
こういう話もYouTubeに上がるのかもしれませんなー。

そうだ!思い出した!
昔、一番つらかった仕事が、この蟹の爪の(手を蟹の爪状態にしている志の輔さんのひじの辺り)この辺りに能登島って島があって、そこでさとう宗幸さんという人の、青葉城恋唄、しらんがけ?「広瀬川~流れる岸辺~思い出は帰らず~(歌う志の輔さん)」知らんならいいちゃ、そこの島で前座をしてくれと。その頃は落語家になりたててどんな仕事でもいいからやるということで受けた仕事です。砂浜には2~300人位のお客さんがパイプ椅子に座って待機してて、海の上にステージがあって、後ろにバックバンドの方がいて、ゆらゆらしている桟橋の上を渡ってステージにある座布団で喋りました。陸からスポットライトがびかーっと当たっていて、まぶしくて客席なんてわかりません。もちろんマイクも何もありませんから、ただ喋っているだけ。私とお客さんの間にはざぶーんという波の音が…なんとか持ち時間の15分を喋り切りました。
その後プロデューサーの人がきて、ああいうところでは落語って出来ないって知ったよ!と言いました。あれほど辛い仕事はありませんでした。

あと、ついでにいいますが、私は武道館で落語をやったこともあります。さだまさしさんの助けを借りてですけれどもね。
武道館の両脇にモニターが2つあって、私の横に大きな私が2つどーん!とあるという不思議な世界でした。
身に来ていた友達が3Fでも声が凄くきれいに聞こえたよと。そして8500人のものすごい集中力を感じました。
もうやることもないですし、やりたいとも思いませんがそういうこともありましたな。

大体年130~170本の落語をしていますが、大体は誰かが呼ぶから行くというスタイルですが、ここは作られたから毎月行って色々なことを試すという場所になってますな。

ふと、顔を斜め下に傾けたかと思うと静かな音色で(という表現が似合うような声音で)くずぅーい…と話が始まる。その瞬間に落語の世界に引き込まれる。

■三本締め
今年最後の公演ということで、三本締めで締めさせていただきます。
(その瞬間、お客様方が椅子にきちんと座り直していく…)

時間オーバーを謝る志の輔さん。


<余談>

談志師匠への尊敬と愛情と懐かしさと寂しさを含んだ言いかたがとてもやさしくて印象的な志の輔さんでした。
私は残念ながら談志さんの高座を生で聴いたことがないんだけど、志の輔さんの記憶の中に生きている談志さんがとてもチャーミングで理不尽でわがままでどうしようもないのに、落語に対しては貪欲な名人だったのだなあと感じる。大切な人がいなくなっても言葉で語り継ぐことは大事なことだなあって感じる。
談志さんの話をする志の輔さんも大好きだけれど、志の輔さんの中にいる談志さんも好きだなあ。などと感じた12月16日のてるてる亭でした。
今回はいつものへ列ではなく、ほ列だったんですが、一段と志の輔さんが近くてありがてぇ!!!ってなる席でした。
次は1月はちょっと日程がタイトなので2月10日に参加予定!


石川県の形はカニのツメ!

★スタジオフォー
立川流すがも亭昼席が今年から始まりました。
今年の所沢寄席でもスタジオフォーの話をされていて、その時は辞めたという話はされていなかったので、まだ聴けるのかな?ってスタジオフォーのメルマガ登録もしたのですが、もうしないのかなー。そんな近くでの高座なんて見て見たかった(><)

★てるてる亭のスタッフさんもRadiotalkでも違法アップロードについてお話されてます


【著作権侵害について】
盗撮により著作権を侵害した者は,私的使用目的で行った場合であっても、罰則(10年以下の懲役,又は1,000万円以下の罰金又はこれらの併科)の対象となります。


また遊びに来てな~(・∀・) 待っとるちゃ。