元気があれば何でもできる
1995年1月27日に
『キリーク・ザ・ブラッド』(1995 PS)が発売されたため、
『キリーク・ザ・ブラッド』が28周年になりました。
『キリーク・ザ・ブラッド』は
「フルポリゴン・フルモーション」で
「ダイナミックな動きを実現」している
「リアルタイム・シューティング・アドベンチャー」ゲーム。
当時のマルチメディアブームの
アーティスティックなノリが見え隠れするタイトルで、
「クリエイション&ブレーン」を「GENKI」が担当していました。
取扱説明書にもクリエイターが顔を出して、
作品について語っていました。
どこまでがアーティスティックな語りで、
どこからがネタなのかわからないのですが、
とにかく語っていました。
一人だけまっすぐこちらを向いているのが気になりますが、
とにかく語っていました。
わざわざ一人1ページを担当する必要があったのか謎ですが、
とにかく語っていたのです。
「GENKI」と名乗っているからわかりにくいのですが、
「GENKI」とは
1991年に『デビリッシュ』(1991 GG)で
パブリッシャーデビューしている「元気株式会社」のことで、
『キリーク・ザ・ブラッド』の主要開発スタッフが
「元気株式会社」のメンバーということに過ぎないようです。
1995年12月には『キリーク・ザ・ブラッド2』(1995 PS)が登場。
あまりに早い続編なので、
『キリーク・ザ・ブラッド』はセールス的には
成功したのだと思われるのですが、
パッケージにもマニュアルにも
クリエイターの写真が一切掲載されていないところを見ると、
クリエイターが表に出ることについては不評だったように思われます。
1996年にパブリッシャーに復帰した元気は
『首都高バトル』(1996 PS)ではアーティスティックなロゴで登場。
『プラドルDISC Vol.1』(1996 SS)で、
『キリーク・ザ・ブラッド』で
「COMPUTER GRAPHICS」を担当した
「浜垣“Sada”博志」の「Sada」をブランドとする
プラドルシリーズが始まったこともあり、
クリエイターを前面に出すことはなくとも
元気があれば何でもできることを証明したのですが、
今ではどうなってしまったかは無理に調べないでください。
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