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第22回 世界を変えるのは草の根運動(アメリカ)


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喫茶「フリーク」は、女たちになくてはならない空間だった。

男性上司の無理解に悩む女たちが相談に来た。夫に殴られた女性が駆け込んできた。レズビアンたちの集いの場になった。議会に挑戦する女性候補者の選挙対策本部にもなった。

ジュディ・シカゴ(フェミニスト・アートの旗手)の有名な作品「ディナーパーティ」を記録した監督ジュディ・アービングや、反戦運動家レベッカ・ジョンソンもやってきた。

店主は和田明子さん。自宅を改装して喫茶店を開いたのは70年代初めで、いったん閉店した後に「女性の喫茶」として再開*した。以来4半世紀、コーヒー1杯で、女性の人権、食品安全、反原発などが語りあえるオアシスとなった。

梅田から阪急宝塚線豊中駅で降りて5分ほど歩いた小路の角。ドアを開けると、ジョージア・オキーフ、韓国の女性会議、イプセンの女たちなどのポスターが迎えてくれた。

なかでも、トイレの横に貼られていた黄色のポスター(今日の1枚)が私は好きだった。アメリカの文化人類学者マーガレット・ミードの言葉が躍っていた。

世界を変えられるのは、思いやりとやる気に満ちた 小さな市民組織である。
実際、それ以外のことなど一度もなかった。(三井訳)

常連客の京都精華大学教員三木草子さんが、80年代初め、サンフランシスコの女の本屋「お婆ちゃんの知恵」で見つけた。

女性運動、環境運動、平和運動が花開いた当時のアメリカ西海岸で、マーガレット・ミードのこの言葉は、少数派たちを大いに鼓舞した。「フリークにぴったり」と買ってきた。

私は、20代の頃、マーガレット・ミードの『男性と女性』(田中寿美子訳)を読んで、男らしさ、女らしさが社会的につくられることを学んだ。そのなつかしいミードが、豊中市に勤務し始めた50代の私の前に現れた。

2003年末、豊中市男女共同参画センター館長だった私は、男女平等嫌いの市議たちの圧力で「雇い止め」という名の首切りにあった。

和田さんはただちに、三井館長の続投運動の先頭に立ってくれた。私は、豊中市などを相手どって首切りの不当性を大阪地裁に訴えた。そんな私を励ます会が開かれた場所、それが「フリーク」だった。

7年がかりの裁判は最高裁までいって、私の勝訴が確定した。その間、ミードの言う「思いやりとやる気に満ちた小さな市民組織」が、私を支え続けてくれた。

(三井マリ子/「i女のしんぶん」2015年2月10日号)


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