大阪都構想の危険性、経済人類学の「光の都市、闇の都市」論から見えてくる社会生命体説


 経済人類学には「光の都市、闇の都市」論などの都市論がありますが、都市というのは、「光の都市、闇の都市」の層構造によって形成される。

 どういうことかというと、岡山県の場合は岡山市が王宮・政治・学問の「光の都市」であり、商業・遊郭・墓・見世物の「闇の都市」が倉敷市になるのだが、「光の都市、闇の都市」は大体、河川や山とかで境界線を引かれることが多い。

 ただ、この岡山市もその背後には、造山古墳とか吉備津神社、最上稲荷などがある、吉備の中山という聖山という更なる「闇の都市」がある。
 その背後には秦氏が移住したり、昭和の頃まで陰陽師がいた総社市があったりして、王城がある「光の都市」、商業宗教を担う「闇の都市」が入り組んでいる。

 商業宗教を担う「闇の都市」が倉敷市であるにしても、更なる「闇の都市」である金光教がある、陰陽師もいたという浅口市があったりする。
 そうなると、「闇の都市」である浅口市から見ると、倉敷市が相対的には「光の都市」になる。
 「光の都市、闇の都市」論といっても、視点によって色々な階層構造が見えてくる。
 相対的に「光の都市、闇の都市」と言ってるにすぎない。
 

 今回、読者の方から大阪都構想はどう思いますか?というリクエストが来たので記事を書いてます。



 では、大阪の場合は淀川という巨大な川があるが、実際はかつては支流である大川を挟んで大阪城(光)と繁華街である梅田(闇)が区分されてる。
 現在の大阪市役所は、大川が左右に分かれた堂島川と土佐堀川に挟まれた川の中州にあるという妙な位置にある。
 大阪府庁はさすがに大阪城のすぐそばです。
 大阪市役所は近過ぎて大阪府庁的には目障りなんだろうけど、実質、梅田とか、大阪府を仕切ってるのは大阪市長という感じがするので、大阪府知事は何となく面白くないのだろう。

 そして、大阪市にほとんどの都市機能が集中している。
 大阪市を中心にして、大阪府を吸収した方がいいくらいで、直感的には、歴史的に見ても大阪市構想の方がいいんじゃないかと思うのだが、岡山県の場合、わざわざ岡山市に周辺都市を合併させて政令指定都市にして権限を強化してます。

 こういう大都市を中核にした行政システムは中国などがそうであるように、今の時代には合っていて、大阪都構想は不要だし、たぶん、ワクチンみたいに効果がなくて薬害しかなくて、イギリスで子宮頸がんワクチン打つと子宮頸がんが54%(44.6%からさらに増加)増えるそうで、困ったことになってます。


「社会生態学は、通念に反することですでに起こっている変化は何か、パラダイム・チェンジは何かを問いつつ、社会を観察する。変化が一時のものでなく、本物であることを示す証拠はあるかを問う。そして、その変化がどのような機会をもたらすかを問う」(『すでに起こった未来』)

 ドラッカーは、自らを社会生態学者と規定する。「自然生態学が生物の環境を研究するように、社会生態学は、人間によってつくられた人間の環境に関心をもつ」という。

 ゲーテの『ファウスト』の望楼守リュンケウスは「見るために生まれ、物見の役を仰せつけられ」(高橋義孝訳)とうたう。これが社会生態学である。

 社会生態学は、考えることではなく、見ることに重点を置く。分析ではなく、知覚に基礎を置く。

 社会学との違いはここにある。捨象できるものが存在しないからではない。社会生態学は、その定義からして総体としての形態を扱うからである。総体は部分の集合よりも大きくないかもしれない。しかし部分の集合とは根本的に異なる。

 環境、教育、都市、途上国など21世紀の問題は、社会生態学のアプローチを必要とする。デカルトに始まった近代合理主義としてのモダンが限界に達してすでに久しい。

「体系としての社会生態学は行動にかかわりをもつ。知識とは、それ自体が目的なのではなく、行動のための道具である」(『すでに起こった未来』)



 都市にしても、社会にしても、それは「生命体」のようなもので、名経営学者のドラッカーは自らを社会生態学者と称してます。


 大阪都構想の狙いは市役所の職員とかが持ってる権力を解体して、自分のものにしたいだけで、単なる権力闘争で財源を大阪都に奪いたいだけです。
 カジノのような外資に売国する構想にすぎず、たぶん、水道とかをフランス企業に売り払ったりそういうことになるのが関の山です。
 小泉郵政改革のように、年金も郵政貯金も外資に売り渡すことを橋下という看板でやろうとしただけで、ろくなことにならなういでしょう。

 良かれと持って抵抗勢力を成敗した小泉郵政改革と派遣法制定で、日本社会は壊滅的打撃を受けて、働いてくれる庶民という筋肉が無くなって、富裕層という脂肪ばかり増えた、ぶよぶよの社会に成り果てた。

 何と言うのか、ユダヤの金融資本の動き行動パターンである、シオンの議定書を思い出すのがいい。

 マスコミはユダヤの金融資本(軍産複合体)の支配下にあり、ここが騒ぐ時は気をつける。
 豊洲市場の問題にしても、僕もよく批判していますが、こういう事件の批判、安部総理批判、特別会計の官僚、公務員批判とかが行き過ぎる時は気をつける。

 ユダヤの金融資本は常にこういう国の根本を破壊して、乗っ取っていくという手法を取ります。
 国を良くする為の批判だったはずが、自分がいつのまにか売国奴の手先になってるということ良くあることです。
 そこは常に疑ってかからないと。

 日本のマスコミは、公開されているアメリカの公文書に記載があるようにCIAのスパイ名があり、CIAの直属機関なのを忘れないことです。
 国の崩壊はあなたの目の前で常に起こってることに気づくように。
 次回に続きます。
 


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『シオンの議定書』概要

【第一の議定】

★自由という空しい観念は民衆をかり立て、統治者などは、国家の所有者たる人民に委任された管理者に過ぎず、使い古しの手袋のようにいつでも取りかえられるものだ、と思いこませることができた。

人民の代表者が自由に取替えの効くものだということは、我々の思う壷で、実際に代表者の任命は我々が握ったようなものである。
 
(中略)

【第二の議定】

我々は彼らに吹き込んだ科学の法則を信じこませ、疑わないようにさせなくてはならない。このために我々はマスコミを使い、理論に対する彼らの盲目的な信仰を高めるのである。

非ユダヤのインテリは、その学識を誇りとし、理論的証明をしただけで、我々のエージェントが集めておいたことにも気付かず、すべての学説を、我々の必要とする方向に実行するだろう。  

(中略)

【第十の議定】

★我々が国家体制の中に、自由主義という毒液を注射して以来、各機関はすべて変化した。今ではどの国家も〈死に至る病〉壊血病に浸されており、断末魔の苦しみを味わっている。

自由主義は、非ユダヤ人にとって健全だった専制政治を廃し、立憲政治を生み出した。諸君もご存知のように、憲法とは闘争と対立をかり立て、国の機能を弱め、個性的価値を奪う無益なものである。

議場も新聞も、国家の行動力を奪い、支配者を無用化してしまう。

それで多くの国で元首は廃された。そして共和制への道が開け、我々は、伝統のある帝王の替わりに、ロボットの大統領を作った。この大統領は民衆の中から、それも、我々に奴隷のごとく仕える者を選ぶのである。

これこそが我々が非ユダヤ人国のすべての地下に埋設した爆薬であった。


22 6月 「シオンの議定書」の概要。ユダヤ金融資本の行動パターンが理解できる重要書です。
https://rapt-neo.com/?p=11777
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