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僕の体は遅い。

  恋人ができるチャンスはあったのに、僕はいつも逃げていた。その瞬間に、今がその時なのだと気づけない。僕は時に乗り遅れ、後になって気づく。あの「職人」の男にしてもそうだ。あの男と付き合ってみてもよかったはずだ。俺とだけやろうという肉体の約束が、じきに精神的な何かに変わっていく可能性だってあった。
 僕は、結局は安心しようとしてしまう。ドトールの毎日同じ味のアイスコーヒーを飲みたい。早く部屋に帰って一人で眠りたい。自分の枕の臭いを嗅いで。
僕の体は遅いノンケの友人たちは、僕とは絶対的に異なる速度を生きているかに思えた。安藤くんやリョウや篠原さんと同じく、Kもノンケなのであって、彼らは僕を無限の速度で引き離していく。安藤くんの眼差しのまっすぐさ。あれは速度なのだ。無限速度。だが僕の眼差しはカーブする。それどころかカーブしすぎて引き返し、眼差しは僕自身へ戻ってきてしまう。僕の眼差しは釣り針のようにカーブして男たちを捕らえ、そして僕自身へ戻ってくる。
 僕は、僕自身を見ている。
 そしてこれは僕だけのことだけではないと思う。男を愛する男は多かれ少なかれそういうものじゃないかと思う。男を愛する男の眼差しはカーブし、その軌道で他の男を捕らえ、自分自身に戻ってくるのだ。
『デッドライン』千葉雅也,新潮文庫,2019

 最近になって、いろんな事に気づき始めている。この世の理が“理解(わか)った”みたいな、大それた意味ではなく、普通の人ならもっと早く、生きていく上で自然に気づける物事を最近まで理解できないままで居たように思う。

 きっかけは、主治医の先生に発達障害の可能性があると言われた事だったと思う。発達との関係があるかはわからないが、プラスして人よりも繊細な神経を持っているということも言われた。それからというものの、過去の集団生活の中で感じた生きづらさはそういう病気(というか特性というか)があったからなんだと分かった。毎朝登校するのが苦痛だったり、プールの時間が死ぬほど苦痛だったり、給食が食べられなかったり、もちろん人間関係が困難だった事など上げ出したらキリがないが、そういう学校生活などで感じた苦痛の原因がわかって、現に今苦しんでいるこの状況も腑に落ちたのだった。

 恋愛的な経験についてもそうだ。全く恋心みたいなものがなかった訳ではなく、普通に好きになる男性もいた事はあるし、思いを告げられたこともあるにはあったが、じゃあその後実際付き合って、みたいな段階にいかない。そもそも男性が多少苦手でどう接すれば良いか分からないと言うのはあるが、あまり性欲みたいなものもなかった様に思う。だいたいの人間が高校か大学(16~20くらい?)で自然に恋愛をするようになるのだと思うが、それぐらいの年齢で私が恋愛できたとはとても思えない。高校で彼氏彼女ができるとか、正気か?と思ってしまう。とにかく、そういう恋愛感情とか関係が生まれる際のもろもろみたいなものを、私は最近になって、やっと理解したぐらいなのだ…。

 上の文章は、千葉雅也の「デッドライン」という小説から引用した。ここで書かれている「速度」という言葉に強く引きつけられた。私はこの小説の主人公のように同性愛者ではないが、ここで書かれていることをこの頃、まさしく感じていたのだ。

 “友人たちは、僕とは絶対的に異なる速度を生きているかに思えた。

 子供の頃は、周りが「普通」であり、私も「普通」でありたかったから、(今思うと)無理して周りに合わせていた。しかし、大人になるにつれてどんどん人としての成熟度の差が目に見えて開いていき、気付いた時にはもう追いつけないほどの距離が出来てしまっていた。

 私は多分、今がちょうど高校生くらいの成熟度なんだと思う。人を好きになったり、その人を「知りたい」という思いがやっと芽生えてきた。今からでも遅くないだろうか。こんな私にも、恋人と笑い合って手を繋いで歩けるような、幸せな未来があるんだろうか。そんな甘い夢想を繰り返している。

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