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19. 藤野一友

たまたま目にしたフィリップ・K・ディックのサンリオSF文庫版の装画が気になって、メモしておいた作家です。

生まれは1928年、澁澤龍彦や三島由紀夫に絶賛されながらも、30代で病により筆を断たれました。妻は一昨年に東京都庭園美術館で展覧会のあったコラージュ作家、岡上淑子だとか。(彼女も活動期間が短く幻想的な作風です)
幸運にも生活圏内の図書館に画集「天使の緊縛 藤野一友=中川彩子作品集」があったので、見に行ってきました。

彼は、画集が「藤野一友=中川彩子」となっているように、二つの名前でそれぞれ別の系統の絵を描いた画家です。

P・K・ディックの装画に使われているのが「藤野一友」の方。
こちらはいわゆる芸術家路線で、古典的な技法の油彩画が多く、他に三島由紀夫「沈める滝」や澁澤龍彦「新ジュスチーヌ」の装丁などにも使われました。
全体として目を瞑っている女性が多い印象で、彼女たちの多くは裸だったり、無機物と融合していたりします。非現実的な世界は眠る女たちの夢を表しているように思われ、彼は“遅れてきたシュルレアリスト”と評されたこともあったのだとか。
60年代からは直接的なエロスがおさえられ、より幻想的な雰囲気を纏います。女性たちの体は官能的で肉感はあるけれど野卑ないやらしさは感じません。
解説者から「女性の夢にひそやかな欲望を籠めている」とか言われてますが、ポール・デルヴォーの時に書いたようにわたしはやっぱりそういう見方は苦手です……。
(ポール・デルヴォーの記事の記事はこちら↓ )


一方の「中川彩子」名義ではSM系雑誌「裏窓」や「風俗奇譚」などに緊縛やボンデージなどの挿絵を執筆していました。
モノクロの挿絵なので画材も鉛筆やペンで、藤野名義と雰囲気は大分違います。
緊縛やボンデージのイラストを積極的に見ようとは思えませんが、(エロを伴わないファッション的な鎖とか首輪とかは好きだし縄師さんとか凄いなあとは思うんですが、わたし的には生々しいのはちょっと受け付けないので)中川彩子の絵は変態すぎないというか、気品のあるエロスという感じがしました。

まあしかし藤野一友の作品の方から幾つか取り上げようと思います。

「聖アントワーヌの誘惑」(1958)は60年代の作品群とは画風が違い、エネルギッシュで奇怪な肉の狂宴が描かれています。胸が一つしかなかったり、二つの上半身が上下に繋がっていたり、人面の沼があったり、狂気の世界はその色味や画面構成がヒエロニムス・ボスの「快楽の園」(ヘッダー画像、一部)を思い起こさせます。
ちなみに聖アントワーヌとは聖アントニウスのことで、ポール・デルヴォーやヒエロニムス・ボスも画題にしています。三者三様の捉え方を見比べるのも面白いです。

さて60年代の作品では、
「カセドラル」(1961)は教会が眠っている、もしくは女性が眠りながら教会となって信徒を待っています。端正な寝顔と神聖な建築が互いの荘厳さを高め合って、神々しさを放ちます。
「レダのアレルギー」(1961)では体が卵に変わっていく衝撃的な絵面に、そこはかとない不安感を覚えます。窓辺に置かれた卵が、月光に照らされて意味ありげに光ります。
「抽象的な籠」(1964)は最も完成度の高い作品の一つかと思います。眠る女性の体がくりぬかれ、中に簡素な世界の縮図が現れています。体内世界には無邪気に遊ぶ子供、首を吊る人、愛欲に耽ける人などが同時並行で存在し、背景の青い空は果てしなく広がっている。足先の方から日が昇ってくるような予感に満ちていて、でも新しい日は良いことだけではなく、悪いことだけでもなく、いつもの日常です。

それから印象に残ったのが「肉を着た鎧」(1965)。タイトル通り確かに鎧が人間の肌を纏っているようで、この発想の転換が刺激的でした。

今回参考にしたのはこちら。

・天使の緊縛 藤野一友=中川彩子作品集 著:藤野一友 出版:河出書房新社
名義ごとに二部制になっていて分かりやすかったです。解説は少なく、カラー図版が多いので眺めて楽しむ画集。

・福岡市美術館ホームページ
美術館が所蔵している藤野作品をネット上で見ることができます。画像は小さいですが画集にない絵もあります。

ネットの画像検索を見るに、「天使の緊縛」に収められていない作品もかなりあるようです。
画集で見るのと実物を見るのとではまた見え方も変わるでしょうし、作品の多くを所蔵しているという福岡市美術館にいずれ行ってみようと思っています。

あと70〜80年代のSF、ファンタジー系文庫の装画は好みのものに出会う確率が高いので、今後もチェックしていきたい。

ではまた。


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