高校生の短期留学で得られるものは
語学力!
といいたいところだけど、残念ながらそうではないのが短期留学。
ただ、スポンサーの親からしたら、期待して異国に送り出すわけで。その割に英語の爆伸びが確約されないのはもどかしいところ。
だから、世のご家庭の殆どが「視野を広げる」や「異国の文化に触れる」という、経験に期待をして送り出していることかと。
ただ、この「広がり方」や「触れ方」も難しいところで、過ごし方によって大きな差がある。うまくゆけばリアル異文化に触れられて、ぐっと視野も広がるけれど、海の向こうのエンジョイ遠足で終わる可能性もある。
この吉とでるか否かのややバクチ感満載な海外の体験。そんな中我が家のダバオ留学は、現地の学校にお世話になったことで、大吉以上の素敵な体験をさせてもらったと思ってます。
何が素敵だったか、は大きく2つあったかなと。
①異文化にドボン「えー!そうなの?!」
異なる文化にガツンとなる。この異文化のコントラストが濃ければ濃いほど、衝撃度も高い。
「こっちの常識は、あっちの衝撃、逆もまたしかり」この異文化にドボンと飛び込んでガブガブ向こうの水を飲んだらいいなと。そういう意味で語学学校ではなく、フィリピン・ダバオの高校で授業を受けられたのはサイコウの体験。
たとえば
家庭科の授業では、カラフルなお菓子を作るなど、食文化の違いにおののいたり
使用言語が複数あるダバオの人々には、英語だったりビサヤ語(※ダバオの現地語)だったり、またそれをミックスしながら会話を展開していく独特のコミュニケーション文化があるんだと。
また、卒業後の進路では、将来の職業から逆算し大学の専門を決めていくフィリピンの高校生に刺激を受けたり。
何より、底抜けに明るくて自分大好きでピュアでまっすぐなダバオの若者に、終始圧倒されていたんだとか。
「同じ高校生」「でも全てが違う」。これを身をもって知れただけで、十分な体験。
行ってみなきゃ分からない、その土地のいろいろ。YoutubeやSNSで知った気になりそうな現代に、自分の目で見ることの何と大事なことか。
②「ちょっと困って、何とかした」
どこにいっても、困ることはある。そして海外は「なんとかなる」ではなんともならない。言うならば『なんとかする』しかない。
どうにかしようともがいて、それをつたない言語でも駆使して伝え、解決し、ああよかったと胸をなでおろす。それを海外でできたことは大きかった。
学校が始まってすぐに、本人にとって困ることがあって母のもとにヘルプ要請が来たが、対峙しているのは彼女自身。対応を全て本人に任せてみた。
脳みそフル稼働で頑張って伝えて、なんとか乗り越えられたようだ。ひとつクリアになれば大きな自信となる。そこから自分にとってコンフォタブルな環境を整えるべく、滞在中は学校や友達と色々やりとりしていた模様。
この一連の体験は、英語への自信を獲得するだけではなく、「困難を自力で乗り越えた」という、自分への信頼が得られたんじゃないかなと。
これは短い滞在ながらも獲得できた貴重な体験で、目に見えないしスコア化もされないスキルだけれど、本人は「お、私やれるな」と、親は「お、やっていけるな」という大丈夫という名のギフトを頂いた。
その2つさえあれば
春休み短期留学は、①異文化に衝撃を受け、②ちょっと困って何とかする。それを今持てる英語力を総動員して「なんとかした」という経験があれば、もう百点満点なんじゃないかと思っている。
そういう点においては、彼女のフィリピン・ダバオ滞在の2週間は、もう200点。いやプライスレスと言って余りある体験だったんじゃないかと思ってます。
そしてこの体験をさせてくれた、フィリピン・ダバオのPCTの先生たちと、それを繋いでくれた友人に、一生感謝し続けるくらいありがとうと思ってる。
6月13日 サカシタカオリ
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