「カレー(前編)」

都内でサラリーマンとして働くタカシは、毎週水曜日のお昼に、決まってカレーを食べている。とくに会社から徒歩5分の場所にあるカレー屋がお気に入りだ。そのカレー屋には決まったメニューは無く、店主の気まぐれにより、カレーのメニューは毎日異なる。サフランライスにかかるカレーの具は、ビーフ・チキン・マトンはたまたカツオやマグロなど様々である。そしてそれらの具材ごとに調合されたスパイスは、独特でありながら旨く、食べ終えた後には得も言われぬ爽快感があり、頭が冴えわたるような感覚すら覚えるほどであった。タカシはこの店のカレーを密かに「合法ドラッグ」と名付け、親しみを込めて愛していた。

それまでのタカシの昼食はコンビニ購入するパンかおにぎりであった。そんなある日のお昼時、タカシはあまり親しくはない先輩から、「お昼を一緒に食べに行かないか」と声を掛けられた。その先輩いわく、会社の近くにあるカレー屋が前から気になっているのだが、その独特の店構えから敷居が高く、入りづらく感じるとのことで、一緒に行ってほしいとのことだった。普段であればこのような面倒ごとは断るタカシであったが、その日は午前中から仕事が忙しく疲れ果てており、断る気力も湧かなかったため、流れに任せてカレー屋に行くことにした。

会社の近くと言われたとおりの立地に店はあったが、一見すると骨董品屋のようなその店は、カレー屋と言われなければ分からないような見た目であった。先輩が言っていた、入りづらいという感覚に共感しつつ、一歩店に入ると、途端にスパイスの香りに襲われた。危うくむせてしまいそうになるのをこらえて席に着くと、黒板に書かれたメニューが目に入った。「本日のカレー」から、タカシは「チキンカレー」を注文した。一口食べたその味はタカシにとって衝撃的なものだった。というのも、幼少期のタカシの家は貧しく、毎週日曜日に決まって出されるカレーは、具が少なく、ルーは極限まで薄められ、カレー色のお湯と言われてもおかしくないようなものであった。そのため、タカシにとってカレーとは、数ある食べ物の中でも不味いものであり、ある種トラウマのようなものであった。しかし、疲れにより判断能力が鈍るなかで口にしたカレーは、タカシに美味しさを感じさせ、興奮と言えるまでの感情をタカシにもたらしたのであった。

仕事や生活そのものに対して、愉しみや喜びを見出せていなかったタカシにとって、その日を境に、その店のカレーを食べることが喜びとなっていた。さらに、タカシは人見知りな性格であったが、足繫くそのカレー屋に通ううちに、店主と挨拶を交わすようになり、ついには名前で呼び合うまでの中となった。そんなタカシは、店主からカレーに関する情報を聞き出しては、週末、その情報をもとに自宅で自らカレーを作るまでとなっていた。それはタカシにとっての愉しみとなっていた。

しかし、そんなタカシの生活は、結婚を機に少し変化することとなる。


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