「カレー(後編)」

タカシは、取引先の会社で働いていた同い年のカオリと結婚した。
営業職として働いていたカオリは、明るい性格で少々勝気なところがあった。タカシとは真逆の雰囲気をもつカオリに対し、タカシはどちらかという苦手意識を感じていた。そんなタカシに対しても、カオリの明るさは容赦がなかった。最初こそ苦手意識を感じていたタカシであったが、無理やり誘われた飲み会に参加し、そこでまじまじとカオリと話してみると、タカシが思うほど、カオリとのやり取りが苦ではなかった。テンションの差こそあれど、互いの根が同じ成分で構成されているように思えた。

その根拠の一つとして、食に対するお互いの考え方があった。タカシは例によりカレーにこそ執着はしていたが、相変わらずそれ以外の食べ物への興味はなく、まだ食事に対しては生命維持のための機械的な行為という感覚を持っていた。対するカオリも、こと食事に対する興味は薄かった。仕事人間であるカオリは、食事の時間をどこかもったいなく感じており、いつか植物のように光合成をすることで生命が維持出来たらという妄想をもつほどであった。

カオリもタカシに同じ匂いを感じたようで、その後もカオリからの積極的なアプローチが続き、タカシからすると、気が付いたら結婚をしていたという、どこか他人事のような感覚で結婚生活はスタートした。

同棲をすることなく結婚した二人は、互いの生活レベルも分からぬ状態だったが、掃除の頻度・寝起きする時間などに関しては、幸いにも大きなずれはなく、平穏な結婚生活を送ることができると思われた。

しかし、二人がどうしても相容れない点が1つあった。

それはタカシが週末に自宅でカレーを作ることだった。

タカシは、感覚が麻痺していたため気づいてなかったが、カレー作りには様々なスパイスを使用するため、その匂いは当然部屋中に立ち込める。普通の人であれば顔を歪めてしまうほどであった。カオリもこのスパイスの匂いには慣れず、度々タカシのカレー作りを咎めることもあった。しかし、タカシにとってカレー作りは唯一の愉しみであったため、それを否定されるたびにカオリに対して腹立たしさを募らせていた。

一方で、タカシもカオリの作る料理の中で、唯一カレーだけは評価できなかった。カオリの中でカレーとは、残り物の食材を効率よく処理するための料理という位置づけであった。ちくわ・豆腐・煮物など、冷蔵庫の残りもをなんでもかんでもカレールーと合わせてしまう。確かに効率は良いかもしれないが、カレーに対して人の何倍もこだわりを持っているタカシにとって、カオリの作る残り物カレーは、カレーに対する侮辱であるようにも感じていた。

このようにタカシとカオリは密かに家庭内カレー戦争を起こしていた。

だが二人の結婚生活のモットーとして、「互いを尊重する」ということを掲げていた。ありきたりではあるが、これはタカシとカオリの性質が大きく違うゆえのモットーであった。ことカレー戦争においても、互いを尊重し、二人は協議を重ねた結果、カレー作りにおいて、具材の権利をカオリが持ち、味付けの権利をタカシが持つことで合意した。

この協定を結んですぐのカレー作りは、実に難航した。まずカオリが先に鍋へ具材を入れるのだが、カオリが食材を探すため冷蔵庫を覗くたびに、一体次はなにを入れてくれるんだと、タカシは気持ちがそわそわとしてどうにも落ち着くことができなかったため、しばらく外に出て気を紛らわすということになった。一方のカオリも、タカシが味付けに取り掛かろうとすると、まだスパイスの瓶の蓋も開いていないというのに、なんだか鼻がむずむずするような感覚に襲われ、どうにもじっとしていられず、タカシと同様、外へ散歩に出向くことになった。

それでも、二人で幾度となく完成させたカレーの数々は、タカシとカオリにいつもわくわくした気持ちを与えた。その出来栄えはというと、眉間に皺を寄せながらカレーと向き合う日もあったが、おおむねは美味しく、時には、カレーにうるさいタカシでさえ唸る味ができることもあった。

カレー作りはもっとも手軽な創造であった。



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