「レジ」

私はレジが苦手だ。毎朝、会社に行く前に決まってコンビニに寄る。オフィス街にあるそのコンビニは毎朝混んでいる。私はお決まりの梅おにぎりと野菜ジュースを手に取りレジに並ぶ。ここまではいいのだが、列が進み、レジの前に来るといつもうまくいかないのだ。商品を差し出し、その間に財布を開く。会計金額を言われ、そのとおり出そうとするこの瞬間、私の頭はいつも混乱してしまう。お金を多く出しすぎたり、あるいは出さなすぎたり、ひどいときは慌てすぎるあまり、財布の中の小銭を全て床にぶちまけてしまうことさえあった。私は、混んでいるコンビニであると後ろに並ぶ人の気配を感じ、慌ててしまうのかもしれないと自己分析をし、いつもとは違う、比較的空いているコンビニを選んでみたりもしたが、結果は変わらなかった。私はやはりレジが苦手なのだ。

僕はレジが嫌いだ。僕がアルバイトをしているコンビニはオフィス街にあり、毎朝、出勤前のサラリーマンで混雑する。早朝から昼前までのシフトでバイトするようになってからもうすぐ一か月経つが、その慌ただしさに、いまだ身体がついていかなかった。朝はとにかく急いでいるお客さんが多い、お客さんに対しては、スムーズな接客を心掛けている僕ではあったが、買い物をするお客さんの途中に、荷物の受け取りなどのお客さんが来たりした日には、僕の頭はたちどころにパニックを起こしてしまう。ここで働くようになってから、何べん目の前で舌打ちをされたか分からないほどであり、僕はどんどんレジが嫌いになった。

レジが苦手な私の経験から、店員さんとの相性が買い物において重要であると思うにいたるようになった。私が毎朝立ち寄るコンビニには、決まって3人の店員さんがいる。40代くらいの中肉中背の女性店員さんと、10代後半くらいの金髪にピアスのクールな女性店員さん、そして、20代前半くらいの黒髪に眼鏡でいつも俯きがちな男性店員さんだ。中肉中背さんは、忙しい朝のレジ打ちが嫌なのか、いつもせっせと品出しなどの作業をしているようであった。コンビニのレジは2か所なので、必然的に金髪クールさんか黒髪眼鏡くんのどちらかを選ぶことになる。お客さんの列はどちらも同じくらいなのだが、明らかに金髪クールさんのほうの列がスムーズに進んでいた。私もその速さに憧れ、何度か金髪クールさんの列に並びお会計をお願いしたが、私のお客さんとしてのレベルが低すぎたため、金髪クールさんからは、これまで幾度となく冷たい視線を浴びせられた。私はその冷やかさに勝手に落ち込んでしまい、それ以降、黒髪眼鏡くんの列に並ぶようになった。黒髪眼鏡くんは、私からみても手際の悪そうな男の子だった。実際、お客さんから舌打ちをされながら、レジを打つ様を何度も目の当たりにしてきた。しかし私にとっては黒髪眼鏡くんのレジが心地よかった。例のごとくお会計にもたつく私を、黒髪眼鏡くんはいつまでも待っていてくれる雰囲気を持っていた。その居心地の良さに甘んじてはいけないと思いつつも、そのコンビニに行くときは、黒髪眼鏡くんがいるレジの方に並ぶことが私にとっての習慣となっていた。

僕は今日も朝からレジに立っていた。僕と同じバイトのアスカさんは、僕の3つ下、18歳の女の子だった。明るい金髪が特徴のアスカさんは僕と同じ時期にバイトに入ったとは思えないほど、レジ打ちが早く、正確であった。同じ時間帯にいるパート店員のユウコさんも、アスカさんの仕事ぶりをいつも褒めていた。アスカさんは無口であったが、ユウコさんはおしゃべりな人で、コンビニにくるお客さんのことをよく観察し、もっぱら話しのネタにしていた。その中でも、ユウコさんがパステルの女と名付けて呼ぶお客さんがいた。いつも淡い色合いの服装で店に来るのでそう呼んでいるとのことだった。ユウコさんいわく、そのパステルの女は、毎朝コンビニにきて買い物をしているのに、会計の際に決まってレジの前でもたもたとするので大変いらいらすると言った。このユウコさんの発言に対して、普段は無口なアスカさんが珍しく口を開いて、分かります。と言い、深くうなずいていた。正直僕はそこまでお客さんのことを観察する余裕がなかったので、そういうお客さんがいたと言われればそうかもしれないなと思う程度であった。

ある日の夜、残業で会社を出るのが遅くなってしまった私は、疲れのせいもあってか、アイスが食べたくなってしまい、毎朝寄るコンビニに入ることにした。このコンビニに夜行くことがあまりなかったせいか、店内には中肉中背さんも金髪クールさんもおらず、見知らぬ店員さんがほとんどであった。少し値段が高めのアイスを一つ手にとり、無意識にレジに置くと、目の前には黒髪眼鏡くんがいた。私はいるとは思っていなかった黒髪眼鏡くんの登場に、少し声を出して驚いてしまった。疲れているせいか、いつも以上にレジではもたついてしまったが、夜のコンビニには人もおらず、黒髪眼鏡くんと私の間にはゆっくりとした時間が流れていた。それを一人心地よく感じながら、私は会計を済ませたアイスを持って外に出た。

その日は、珍しく夜の時間のバイトに入ることになった僕は、朝との慌ただしさの違いに驚いていた。お客さんはまばらで、品出しに精を出すほどでもなかったので、店内にはゆっくりとした空気が流れていた。僕はこのコンビニで働きはじめてから初めて落ち着きを感じることができた。余裕があると、どうしてもお客さんに目が行ってしまう。店の外をぼんやり眺めていると、会社帰りと思われる一人の女性が店内に入ってきた。その女性は迷わずアイスがあるコーナまで進むと、しばらくアイスを選んでいた。その女性は、薄緑のブラウスに、ブラウンのスカートという服装であった。僕はいつかユウコさんが言っていた、パステルの女の話しを思い出していた。彼女はアイスが決まったようで、僕のいるレジへと向かって歩いてきた。アイスを置いた彼女は、少し言葉を発したようにも聞こえたが、何と言ったかは分からなかった。僕はアイスの金額を彼女に伝えると、彼女は長方形財布を開け、小銭を探し始めたようだったが、思った金額がなかなか見当たらないようで、彼女は財布を軽く振ったり、斜めにしたりして悪戦苦闘していた。僕はその姿に対して不思議といらいらとはしなかった。むしろ彼女と僕の間には、いつまでも穏やかな空気が流れていた。

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