HUNTER×HUNTER蟻編における矛盾について
こんばんは。一定周期でHUNTER×HUNTERについて語ってしまう病気にかかっている成人男性です。発症してから10年、未だ快方への兆しが見えません。今回の発作は中々大きく長くなりそうなので、Twitterではなくnoteで語ろうと思います。
蟻編がぶっちぎりで好きです。HUNTER×HUNTERにおいて蟻編は異様です。中でも特に変わっているのが「非常に非効率で無駄が多い」事だと思います。
それまでのHUNTER×HUNTERは(当時の少年漫画としては)かなり理屈っぽいバトル漫画でした。キャラクター達は常に思考し、効率よく動いていきます。
ところが、蟻編では「容量の無駄の遣い❤︎=死♠︎」というHUNTER×HUNTERの秩序は突如として崩れます。その極地が"メルエムvsネテロ戦"です。
双方信じられないレベルに非効率ですが、その結果ネテロ会長は百式観音を会得し、さらにメルエムはそれを破ります。
ここに蟻編のテーマがあります。
どうしようもなく非効率。誰が見ても無駄。されどそれが個性になり、武器になり、そして美しさへと昇華する。
これが蟻編の哲学なんです。
ネテロvsメルエム戦以外にもこの考え方はちょくちょく顔を出してきます。
私は蟻編を読み返す度に、その度に勇気づけられます。人生の中のしょーもない時間。忘れられない黒歴史。やめられない癖や趣味。そんな私の中の捨て去りたいものたちが、何よりも私というものを形作り、何よりも美しい。そんな気にさせてくれるからです。
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