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盛り場とは

僕が盛り場へと足を踏み入れたのは大学1年の時です。
その時、大人の階段を登った・登っているという儀礼(成人式、結婚式など)を行っている時のあるものからあるものへと移行する・しているような感覚を味わいます。それは毎回、盛り場に足を踏み入れるとそのような感覚に陥るのです。何者でもないような、どこにも所属していない、様々な制限から解放される自由な場なのです。

最近(Covid-19期)のメディアは盛り場である夜の街をスティグマとし、国民の目を夜の街排除へと向かわせているように感じられます。
日本各地に存在する盛り場は戦時中のヤミ市発祥のものが多く、僕がよく通う金沢の新天地や味食街なんかもヤミ市あがりです。ヤミ市といえば893が関わっているのは承知のうえでしょう。そんな反社会勢力が関わっている場でありますが、社会側の人間は喜んで盛り場へ足を運んでいます。みないつもは所在がわからない欲望をここぞとばかりに表象にあらわしています。(この辺りから秩序(ノモス)と反秩序(カオス)の二元論へと僕は論を展開していくのです。)

このnoteでは盛り場を起源とする僕の悪場所論を展開するための考察の場にします。いつか多くの方が持っているであろう固定観念や価値観や生権力や生政治にカウンターステイトメントを送るためのnoteです。
盛り場とは言ったものの、僕の興味としては社会から排除されたものを元に排除構造を考察したり、この日本というおかしな秩序に所属するのはどうなんだ。ということを徒然なるままに書き尽くしてみようと思います。



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