ヴィパッサナー瞑想を終えて(後半)

さて、瞑想修行ですがその行は厳しく、寝食以外の時間を座りとおす文字どおりまさしく苦行でした。1時間、5分の休憩を挟んでまた1時間半をひたすら座しては身体の感覚を感じ、観察し続けます。まずは自然な呼吸から(自然なが大事です)鼻から上唇の間に始まり全身を観察し続けます。イメージや思考を制御し、平静な心を常に保ちながら客観的に観察し続けます。そうして無意識の深い部分にある汚濁を取り除く。まさに大手術!これは決して楽にできるものではありません。とにかく脚が痛い!痛っ!痛いぃ‼︎  耐えられないほどの激痛が、6日目まで続きました。苦しい、痛い!  その痛みを和らげるよう施設にはクッションや低反発マットなどが用意されてましたので、何枚も高く積み重ねるも、僕は逆にそのマットで股関節を痛めてしまい効き目がありませんでした。最後には座布団2枚に落ち着きました。

6日目、これでは瞑想に集中する以前に足の激痛で終わってしまうのではないかと、暗澹たる想いに沈んでいましたが、講話(ゴエンカ氏の録音テープ)を聴き続け学んだ通り、無常の智慧とともに平静な心で客観的に観察し続けた効果が現れ、痛みは次第に安らぎました。最後まで痛みはありましたが。

一日一日、朝4時に起き、夜9時には床につき、寝食以外は瞑想し、朝昼の少し長めの休憩時間にはシャワーを浴び、洗濯し、日中目を瞑ることのほうが多いせいか日光が恋しくなり外に出るとまるで天国のように眩く、花々は美しく、虫たちに見惚れました。美しく小さな庭で歩いては山を眺め、空を仰ぎ、時にはベンチで仰向けになり過ごす時間は至福の喜びでした。夜、消灯後のトイレに出た時に仰いだ星空、月の美しさ。後半は雨続きで、しとしと響く雨音にうっとりしながら時は過ぎていくのでした。

そんな穏やかさとは対照に瞑想修行は厳しく夜な夜な悪夢にうなされました。夢の中はいつも死屍累々戦さ場で、とにかく常に戦っては敗れ、痛みと苦しみを味わっておりました(しかしこれは、心の上澄みが波打つ浄化の症状だったのだとあとで知りました)。

こうして時は過ぎ9日目の朝、とうとう聖なる沈黙が解かれるや否や、一緒に過ごした隣人たちはとめどなく話し始めます。筆者は上手く話せるのかなんだか心許なく最期の瞑想をゆっくり終えてから隣人たちのもとへ向かうのでした。

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