"らしさ"はウザい

この間、クリスマスがあったじゃないですか。その夜初めて友達の家にお泊まりをしに行ったんですが、カルチャーショックというやつを受けて参りまして。友達は同い年の女の子なんだけど、部屋の感じも、所作振る舞いも違うなあと。当たりまえの話なんだけど。極端に女の子らしいっていうようなピンクの部屋ではなかったけど、彼氏の影響を強く受けてる感じがひしひしと分かったり、テレビボードの上にスノードームなんかの小物が置いてあったりね。「その子らしさ」がめちゃくちゃわかるような部屋だと思った。ちなみに一人暮らしです。彼女はらしいとからしくないとか全く気にしてないと思うし、友達だから変に構えずありのままの生活風景を見せてくれたと思う。「らしさ」を感じたのは私だけだ。彼女は普段の部屋に自分を招いただけで、特に自意識が働いたわけではないと思う。私は気の置けない友達になれたのかと、誇りにも思う。けどたぶん、逆の立場だったら私はうまく「らしく」なれないと思うんだ。

彼氏を作るのも、当然のようにセックスをするのも、出かける準備に時間がかかるのも、友達はほとんど全て意識していない。感覚に従って行動しているようだ。だから私の目には彼女が自然体に見える。ため息が出るほど楽しく生きてるように感じる。まあ、彼女なりの悩みはもちろんあって色々なしがらみからは逃げられないようだが。
自分の感覚を信じている。つまり自分が好き?それらが=になるかはわからん。けど自信はあるのだろう。裏付けされるのはきっと彼氏の存在だ。私には遠い遠い話だから彼氏がいると自信がつくというのは意味がわからない。誰かに自分が求められることで、自信がつき、「らしさ」が染みつくのだろうか。わからない。わたしらしい、ってどこで付与される称号なん?私はただなんとなく、相手から望まれてそうな自分をイメージして、演じているだけだ。演技が波に乗れば、それが本当の自分だと錯覚して、ひとつになれたような気になる。つまりそれが自分「らしさ」か?

頭も悪いくせに難しいことを考えてしまった。埒のあかない無限階段を登ったり降りたり、いつも頭のなかは忙しい。

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