何度だって思い出す

どうしたって胸が痛むこの季節。きみが大切な人をなくしてしまった季節。


友達と旅行先へ向かいながら、なんだか嫌な予感がしていた。まさか今日じゃないよね?すぐに駆け付けられない場所にいるときになんてまさか、と思っていたら、予感は的中。急用ができたと、旅行を引き上げきみに会いに行くと、死にそうな顔をしていた。

まだ泣いていないんだと話すきみの顔は泣いていた。受け止めきれない現実と、それなのに進まなくちゃいけない状況にきみは大丈夫と笑った。少しでもきみの気晴らしになればと色々なことを提案した。美味しいものを食べに行こうとか、美味しいコーヒーを飲もうとか、きれいな花を見に行こうとか。忙しいにもかかわらず、わたしの顔が見たいからと作ってくれた時間に、わたしのだいすきな紫陽花を見に行ったね。雨の中、傘をさして見た紫陽花は、まるできみの代わりに泣いているようだなと思った。それでも、その花を見てきれいだと、一緒にこられて良かったと、笑ったきみが愛おしかった。


それから少し経ってから、きみはわたしの胸で泣いた。きみと生きていく決心をした。

自分のせいなんじゃないかと泣きじゃくるきみを抱きしめて、一緒に泣くことしかできなかった。これからは自分が頑張らなければと、勝手に背負い込むところも好きだった。背負い込むだけ背負い込んだら、最後まで頑張れてしまうところも好きだった。本当は、弱くて、泣き虫で、頑張れないくせに、平気なフリして頑張る姿がカッコ良かった。もう大丈夫と口では言いつつ、横で眠っているときに、行かないでと泣くきみを守りたかった。この人が、本当に大丈夫だと、自分のせいではなかったと、前を向ける日が来るまで、何があってもそばにいたいと思った。その日から今日まで、たのしいこともたくさんあったけど、喧嘩もたくさんした。自分は本当に力になれていたのか、余計なことばかりしていたのではないかと不安だったけれど、最後にもらった手紙に、書かれていた。この時期を共にしたことが一番助けられていたと。少しでも役に立てていたんだなと感じて、わたしは、またきみをすきになりました。


通勤途中、紫陽花がきれいな道があるの。通るたびにきみを思い出す、きみを愛おしいと思う気持ちと一緒に。またいつか、一緒に見れたらいいのに。

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