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現世をワガモノ顔で彷徨くバケモノ

 「あんたは根本に諦めとか、失敗を笑うところがある」と、LINEで姉と話している時に言われ、なるほどと思った。

 性格形成は中学生ごろで大体完成してしまうとむかし本で読んだことがあり、それを割と信じている。それによって、中学生以上の人に何を言っても、基本的に変わらないと思っている。表面的、一時的に変わるかもしれないが、根本が変わることはおそらくないと思っている。
 こうした考えを持っているから、根本に「諦め」があると思われたのだろうか。言動に思想は反映される。

 諦めは、ネガティブな意味で捉えられることが多い。スラムダンクの安西先生も、諦めると試合が終了するとまで言い切っている。しかしそれは試合をしている最中の話である。人生を長い試合と捉えれば何も諦められなくなるが、そう捉えなければ、諦めることをネガティブな意味で捉える必要はたちまちなくなってしまう。

 例えば、僕は自分の考えを他人に理解してもらうことをほとんど諦めている。というか、自分の考えに納得するかどうかは1億%、受け手が決めて良いことだ、と信じている。
 でも世の中は怪奇なもので、「私の主義・主張を受け入れてくれない奴は死んだ方がいい!いや、死ね!」とまで思っている人もいる。彼らと話していると、諦めることを諦めていない、ピュアな性格の持ち主だったりする。時に純粋さは鋭利で、人を傷つける力がある。元カノがそうだった。

 主義・主張を発表する自由は万人にあると思うけど、それを受け入れるかどうかもまた受け手の自由でしょう。他人の自由を剥奪し、自分の主張を植え付けようとする行為を国単位で行うと、植民地支配だぜ。21世紀の現在、大航海時代はつづいている。
 求めてもいないのにアドバイスをしたがる人、何かと指示を出してくる人、間違いを指摘し勝手に矯正しようとする人。彼らは全て、かなりマイルドな言い方をすると「勘違いうすらバカ」または「自らの思想を植え付け他人をコントロールしたいとねがうバケモノ」なのである。彼らは他人に寄生し、他人を操縦することに悦に入り、エネルギーをなるべく多く吸い取り、抜け殻になると満足して離れていく、ドラキュラのような存在なのだ。
 ただ考えを発表するだけの人は良いが、その考えを受け入れなかった時に怒る人からは一目散に逃げることを、一刻も早く行う方が身のためである。

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