【閲覧注意】な痛いはなし/書く習慣Day5 昔はどんな子どもだったのか(前編)

※この記事はいしかわゆきさんの著書『書く習慣』の #書く習慣1ヶ月チャレンジ に沿って、1日1問質問に答えるかたちで執筆しています。


書く習慣本日のお題は『昔はどんな子どもだったのか』

……いやこれ興味ある人いる??笑


私の子ども時代といえば、めっっっっっちゃ怪我してましたね。未だに実母に言われます。

せっかくなので今日は子ども時代の(身体的に)痛い思い出を書き連ねてみました。
結構本当に痛いので苦手な人は今日はとばしてください。
そして明日また見に来てください(笑)

▶さかなさんの(身体的に)痛い思い出

1.敷居のささくれ拷問事件

最初の大きめの怪我は0歳のころ。
ギャンギャン泣いて、何やっても泣き止まないからどうしたんだろうと思ったら足の爪と肉の間(拷問で針刺すとこね)に大きな木片がぶっ刺さってたそうです。

どうも敷居が一部ささくれみたいになっていて、それがハイハイした拍子に足の爪に刺さっちゃったみたいです。古い家だったからねぇ。

しかしなぜよりによってそこに刺さるのか

もちろんすぐに救急に行ったそうです。

2.あわや失明事件

昔私が住んでいた家は色々とボロい手作りで、玄関のポーチ?って言うのかな?玄関に上がるための段差がコンクリート打ちっぱなしだったんですよ。
多分祖父がやってくれたのかな?しらんけど。

でそのポーチがですね、それはそれは凶器のように角が鋭いコンクリートの直方体でして。

その角に目のすぐ下を強打しました

登ろうとしてコケたのか遊んでいてコケたのか記憶にありませんが、なんにしてもなぜよりによってそこでコケるのか

本当に目の下ギリギリだったので、母親は肝を冷やしたそうです。
その時の傷は最近になってやっと「言われなきゃ分からない」程度に薄くなりました。

3.子どもってたまに意味分からないことするよね事件

私的にこれが1番閲覧注意です。

ここらへんからは結構はっきり覚えていて、この事件は今でも思い出すたびに変な声出しながら身体が竦み上がります。

あれは…小学校上がるか上がらないかくらいだったのかなぁ。
私は3兄弟(男・女・男)なのですが、あの頃はまだお風呂上がりに順番に母親の膝で耳掃除をしてもらってたんですね。
木の耳かきじゃなく、紙軸の綿棒です。

私が母親に耳掃除をしてもらっている最中、急に兄と弟が布団をごろごろと転がる遊びをし始めました。
何を思ったか、私もつられて布団に転がり出ました。耳に綿棒入ったままで

ずぐんっ

という音が本当に聞こえた音だったのかは定かではありませんが、とにかく綿棒は私の鼓膜を突き破り、耳の奥に深々と突き刺さりました。

だらだらと耳の穴から流れ出る血。
悶える私。

母親は「死んでしまう」と思ったそうです。

幸い生きてますが耳の聞こえは結構悪いですがこれのせいかどうかは分かりません。

4.工事現場でズル剥け事件

これは確か小学校2年生ぐらいの頃かなぁ。

友達の実家が食品工場をやっていたんですが、その工場がちょうど改装工事だかなんだかをしてたんですね。
ちょっと強引なところのあった友達に「工事中の建物で遊ぼう」と言われまして。
はいもう悪い予感しかしませんね。

木材が散乱する建物内をアスレチックのように2人で遊び。
やがて足を滑らせ、未処理でささくれまくりの木材2本の間に足がはさまりまして。

太ももの皮がズル剥けました。

痛さよりも恐怖にかられて泣き喚いたのを覚えています。
近所中に響き渡るような泣き声を轟かせながら家まで帰りました。

いい子も悪い子も工事現場で遊ぶのは絶対に止めましょう。

5.リストカット事件

当時、私はリサイクルのために牛乳パックを切り開くことにハマっていました。
たまった牛乳パックを切るのはいつも私の仕事でした。

その日も牛乳パックを切ろうと文房具の入った引き出しを開けると、なぜかはさみがありません。
その代わりにあったのは何かでもらった小さなカッター

はいもう嫌な予感しかしませんね。

最初は良かったんですよ。カッターを使ってなかなか器用に牛乳パックを切り開いていました。
まずかったのは、牛乳パックの最後の何個かが完全に乾ききっておらず、湿っていたこと。

湿ってうまく切れない牛乳パックに四苦八苦し、えいやっと力を込めた次の瞬間、カッターの刃が自分の手首に突き刺さりました

傷口がパクっと開き、次の瞬間真っ赤な血が噴き出してくる光景は今でもはっきりと思い出せます。
このときもやはり、痛みよりも恐怖で泣き叫びました。

最悪なことになんとこの時母親は不在。
隣の家に行っていただけなので不在にしていたのはほんの数分ほどなのですが、母親が帰って来たときには私の足元には真っ赤な水溜りができていました。

もともと血が苦手な母親は、自身が貧血を起こしかけてふらふらになりながら救急に電話したそうです。
私はおそらく一針ほど縫い、点滴をして家に帰りました。

切った部位は動脈のごくごく近くで、あと5mmずれていたら死んでいたかもしれない、と医師に言われたそうです。

その時の傷は今でもくっきりと残っています。


小学校低学年ぐらいまでの大きめの怪我だけでこれって。書いててちょっと引きました(笑)

悲しいことに私の怪我しまくり期は中学校、高校になっても続きます。
やっと怪我しなくなったのは大学生くらいからかな…。

要はどんくさいんですね、果てしなく(笑)
怪我はあんまりしなくなったけど、どんくさいのは今でも変わってない気がします(^^;)

小学校高学年〜高校時代の怪我の話はまたいずれ、機会があれば^^;


▶次回は『書く習慣Day5 昔はどんな子どもだったのか(後編)』
痛いこと以外の子ども時代の話を書きます(笑)

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