愛について

勇気を持って、愛について書いてみよう。
勇気を持って。

私は愛が、LOVEとは少し違うのだと友人から教わりました。
言葉が時々大きく、常々小さく。
私達を隔ててしまうと気がついてから、
話すことや書くことが、無価値どころか、害悪のように感じられて。

凄く、寂しかった。
凄く、怖かったです。

そういう気持ちの真逆にあるのが、もしかしたら、
愛なのではないかと気づきました。

愛は、元々仏教用語で、執着と言う意味も持っています。それを知ったのは随分前。その頃の私には、執着が、とても禍々しい言葉でした。

執着といえば、その後に続くのは、捨てるとか、捨て去れとか、とにかく。元々自分に備わっているが、あってはならないもの、でした。


人と人との関わりは煩わしさがほとんどだと、
私の人生はそのように申します。

だけれど、もしかして。
人と人とは、私と世界とは、
いくら説明しようとしても、理解し合うことができないかもしれないと気がついたとたん。

私は、寂しかったのです。
私は、怖かったのです。

この感覚の名前を、私は知りません。
ただ、執着というのが、愛というのが、元々備わっている禍々しいそれが、私を今までその感覚から救ってくれていたのがわかったのでした。

愛は人と人、人と世界を繋ぐなんらかの機能であり、
それは元々備わっていたか、備わらなければならなかったか、とにかく。

生命維持のお薬のようなもので、
副作用として、煩わしさや、心身の磨耗があるのではないでしょうか。



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