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誰とも共有できない喜びの行方

どこに書こう、今日あった幸せを。わたしがわたしじゃなかったら、感じ得なかった喜びの処理の方法に迷って、ここに書くことにした。

一つ、まといの時も漫画にあった楽曲をサプライズで作ってくれた友人が、またしても対バンの中でわたしの漫画にあったセットリストにしてくれたこと。それが嬉しいのもそうだけど、10ヶ月ぶりに見る彼女のパフォーマンスに痺れた。以前よりもずっと、私が行かなかった間場数を踏んだだけ、華が増していた。
正直これまで、どうやったらもっと集客できるかな、くらいしかお互い話してこなかった。売れるためにプロになるためになんて鼻息荒くした記憶はなく、だからオトナの趣味になっていくのかな、みたいな、良くも悪くもゴールを見ようとしないような。
でも、そうじゃなかった。私たちは、着実にレベル上げをして、心から表現を楽しんでいた。お互いのそれが、わかるライブでよかった。

初めて会った友人の友人とも幕間に盛り上がれたのもよかった。これまでは、1人で彼女の凄さを噛み締めて帰っていたから。「俺が言うのも変だけど、一皮剥けましたよね!?」って、興奮して。「これは嬉しいですよね」って共感してくれたのも嬉しかった。

これはほとんどの人に伝わらないメモなのだけれど、今日の漫画セトリ。マジシャン始まりはなるほどなるほどだったけど、歌詞が「私にはなんもないじゃない」に変わっていたのに泣いてしまった。余計、まといに重ねてくれようとしたのかな、なんて。マジシャン、聴くたび良くなってくなあ。
そして、エンターへの繋ぎ。かっこよかった。ギターは荒々しく激しくなっていた。友人の立ち姿も、髪を巻いたこともあるのか(?)弾むように歌っていて、すごく、ステージ映えするようになっていたなと思った。人ひとりが一生懸命に歌う存在感に圧倒されて、場がこれまでよりぎゅっと濃い画面になっているように感じた。
そして、カネコアヤノのカバー、バイソンカメラマンと続く。歌詞が見たい。そして、ファンタジックレディオ、さかなの時間。さかなの時間のエンディングな感じ、いいんだよなあ。ていうか、MC言いたいことメモにまとめておきなよ!!笑 ギター一本で違うような曲をいくつも生み出すことって難しいんだなと思ってたけど、こんなに表情がかわる彼女の曲はすごいなと思った。
個人的には、自慰的だったり思い出の昇華だったりを他人の目の前でやるもんじゃないと思っていて、それは自分にかけた呪いや縛りでもあるけれど、自己陶酔になってしまいやすいから。その点、友人は聴きやすいなとずっと思っている。ところどころ抽象的で、生臭くなくて、それでも渋みはありつつ、前を向いている。自分とは違う人間のエネルギーとして吸収しやすくて、相性がいいなと思っている。メモは終わりだ。

彼女は大袈裟なサプライズじゃなく、軽々しく思いつきで今日のセットリストにしたんだろうなと、楽しそうな様子からわかった。私は自分にお礼を言いたい。私が漫画を描いていなかったら、この喜びを得ることはできなかった。

二つ、下着屋さんの店員さんとお話したこと。以前、ランジェリーブルースを読んだことをきっかけに立ち寄ったChut!という下着屋さんのフィッティングがすごく良かった。にも関わらず、下着の展開を終えてしまうということで、前にフィッティングをしてくれた方に会えるうちに挨拶に行こうと思い立った。美しい下着屋さんなのにと言うべきか否か、彼女には豪華絢爛風な煌びやかさはなく、お店の商品への愛が伝わってくるような、波長が合う人だった。
案の定、喜んでくださって、その後の彼女の進路について話を聞いたり、手を振ってお見送りをしたりしてくれた。一番嬉しかったことは、本当に彼女がお店の商品を好いていたことだ。
「このお店がなくなったらどこで下着買おう…」と言う姿に、なんだか感動してしまった。そんな人に接客してもらえて幸運だったと改めて思ったし、以前購入した下着にさらに価値が付くようだった。

他にも、漫画の創作活動について、応援してくださっている方々、本当にありがとうございます。
PMSの終わりもあってか、すごく自分が素敵でいられたような1日でした。この喜びを色褪せないように持っていたいなら、やっぱりこれも作品にするしかないんだなあと立ち戻ってきました。

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