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あの教室の残滓を

昔々、「児童」だったときは「集団の中のワンオブゼムである自分」っていう意識が薄く、振り返ると、液体の中の分子というよりは鈴生りの果実のうちの一つくらいに自分のことを捉えていた。

我が強いわけじゃないにしろクラスっていう共同体の中に溶け込むとか、馴染んで同化するみたいな意識がなかった。
お楽しみ会の○×クイズで39人が○と言っていようが臆面なく×と言う、程度の感じ。

平たく言えばマイペース、でありながら先生の話はよく聞いていたし、たぶんリアクションしすぎて浮いてたんじゃなかろうか。
しかしそういう同級生の目線は当時どうでもよかったから記憶にない。

知らないことがわかっていくから授業は楽しかった。
「あなたの顔を見ると沢山話したくなる」みたいなことを先生からよく言われていた。
全部丸ごと今は昔の話だ。知的好奇心も、それに突き動かされてすぐに本を読み学ぶフットワークの軽さも、人の話を聴き本を読むための集中力も鈍った。
正しい振る舞いがなんなのか他人の目ばかり気にして、その不自然な態度のせいでかえって溶け込めないことも多い。

話が変わるが、これからは時々、ぽつぽつと、こういう昔話を上げていこうと思う。
過去ばかり振り返るのも好みじゃないが過去があって今があるのは確かで、今まさに迷走している自分の未来に補助線を引くような気持ちで書く。

肩書きも関わりもない人間の思い出話をすすんで聴こうなんて奇特な方は、現実の人間関係ではそうそういないから、ここに書く。
それに高校までの人間関係はもう、特別親しい人以外とは切れている。身バレしたところでダメージはささいなものだ。

逆に言えばこのアカウントから自分を同定しうる可能性が高い人の話はしないし、同定されたときに本人に知れて不快にさせてしまうようなことは書かない。

もうひとつ学校のエピソード。

小学校4年生のとき、掃除の担当場所が一緒になったメンバーで音楽会の合唱を練習していた(このクラスには本当に沢山の思い出がある。ヘンテコで濃密な一年間だった)。次は担当と逆のパート歌ってみようよーとか言いながら。
もちろん掃除をサボってるわけではない。

職員室の前だったもんで、コーヒー片手に音楽の先生がニッコニコで飛び出してきてやんややんやと褒めてくれた。また明日も歌おうと思った。
皆も同じだったようで、気づいたらこの風習がクラスに広まっていた。

年度が変わってクラスメイトがバラけた後も何人かで続けようとしたけど、委員長的な子に叱られてなくなってしまった。
まあそんなもんや。

今なら先生があんなに嬉しそうだった理由もなんとなくわかる。
やるべきことはやるけどそれはそれとしてただ規範に沿うというわけでもなく、前向きでのびのびいきいきしてる小学生たち、めちゃめちゃ教えがいがある。

ああいう出来事が起こるような、もっと言えば自分もその輪の中で純粋に笑えているような……楽しいコミュニティの幻影を追い続けている。

年齢的にはいい加減自分自身がそういった空気を作る側に回ってしかるべきだが、ここ最近は日々自省と感傷のぬるま湯に浸っている。
今は20代前半、消化試合にするにはあまりにも早い!

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