タンザニア旅行*キルワ編その2
前回の投稿に引き続き、午後からいよいよ世界遺産の遺跡が観れるというキルワ・キシワニ島に向かいます。
1.キシワニ島への行き方
ガイドをつけたり、行く前に許可証を取らなければいけないのですが、
私の場合ホテルの人に「キシワニ島に行きたいから行き方を教えてくれ」と話をした時に、ガイド等全てまとめて手配してくれることになりました。紹介料観光料全て込みで50,000シル(レジデンス価格)
ホテルの近くまでバジャジで迎えに来てもらい、ガイドさんと一緒に許可証を取りに行きます。
手続きが終わったらそのまままたバジャジで港に向かいます。
ここから船が出ます。
事前の情報では船が選べるとかなんとか聞いていましたが今回は特に聞かれることなくエンジン付きボートに乗せられました。(ダウ船乗れるかもってちょっと期待していた)
潮風浴びること10分。
キシワニ島に到着。海岸にはたくさんのマングローブの木。島自体覆われているようでした。
2.キルワ・キシワニの遺跡とは
ここで簡単に概要説明。1981年に世界遺産登録されたこのキシワニ島に
人が生活するようになったのは9世紀頃から。14−15世紀東アフリカ沿岸部で交易ルートの拠点としてスワヒリ圏内で最も栄えた都市といわれており、当時インドやアラビア、ペルシャ湾から金や象牙、奴隷が送られていたといいます。
しかし16世紀にはザンジバルの君主オマーン、そして19世紀にはドイツに征服されました。
またイスラム教の歴史も深く、モスクや宮殿など、それらに携わった建造物が残っています。
原住民は全員イスラム教、現在でもキリスト教者は島の外から先生としてきている2人のみだそうです。
3. 遺跡のアレコレ
一番最初に紹介されたこの場所。一面にある石。これ全て奴隷として送りこまれ亡くなった人たちのお墓だそうだ。
土葬のとき、遺体は全て頭は東、足は西、顔は北に向けた状態で寝かせるそうです。
次はこの地域で見張り塔となっていた建物。海に面した所に立っているため外からの侵入者もすぐわかる。
写真の裏側に入り口の大きい扉があり、そこから入りました。
ちょっと高い位置に登って撮影。
正面の大きい扉が入り口、その右側にある部屋が奴隷が収容されていた所。中に入ってみたが全く日の光が入らず真っ暗で、奥がどこまで続いているのかわからなかった。
柱に使われているのはマングローブの木
壁に見えるくぼみは柱のマングローブが刺さっていた後。2階構造だったことがわかる。
ふぉーーーーお城の造りとかテンション上がるぅぅぅぅ
手前にある大きな球場の岩。ドーム状の屋根で上にあったんだけど老朽化で落ちてきたらしい。
このスペースで壁に向かって歌う、その声が跳ね返って響く構造。
やたら街とか村で響くあの歌の正体はこれだったんかなとか。
グレートモスク。ここが一番大きいモスクで、昔は多くの人が集まってここで毎週金曜日にムシキティが行われていた。今は遺跡としてのみ残ってて、使われていない。
さて、ツアーも終盤。残す所あと1箇所だがそこまでは2キロ歩かなくてはいけない。ボートの方が早いというので乗り込む。
膝まで浸かるが抵抗なく歩かせようとする感じ、嫌いじゃない
船で海外沿いに進み5分もかからず目的地へ。
こちらはすこし足場が悪く泥状態。足が沈まないようギリギリの足場を探しながらマングローブの木の根っこの間を歩いていく。
泥道を抜けると目の前に大きな岩の建造物が。階段を登ります。
宮殿。お偉いさんたちが会議等していた大広間などが見られる。
どの遺跡でも敷地範囲の目印として使われがちなのが大きなバオバブの木(写真奥)
以上でキルワ・キシワニ島の旅は終了しました。(説明雑でごめんなさい)
写真はたくさん撮りましたがやはり自分の目で見て聞いて肌で感じるのが一番。当時の人々の暮らしなんかを想像しながら歩くのが楽しかったです。
ソンゴ・ムナラの方も見てみたかったのですがやはり時間とお金がね()
ガイド料なんかも割り勘になるので何人かで行くことをお勧めします。
が、一人は一人でじっくり話を聞くことができるし、気兼ねなくその場で質問もしやすいので好みですね。
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