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お金を手渡しされたから、このサークルを続けた

こんにちは。VRで遊べるTRPGを作るサークル「ぐだぐだぶとん」代表の逆凪です。最近VRSNSでワールド制作者が収益を得る機能が追加されそうと話題になっている事で思い出し、締切を片付けて雑記を書く余裕ができたので、今回は弊サークルとお金について書いていこうと思います。

この記事は収益を受け取る機能について肯定的ですが、啓蒙の記事という訳では無く、「あぁこんな人いるよね。」と思い出す位のテンションで読むと良いものです。

大事にしているお金の捉え方

さて、この記事のタイトルである「お金を手渡しされたから、このサークルを続けた」について話していきましょう。弊サークル「ぐだぐだぶとん」は2018年にC94(コミックマーケット94)に初めて出展しました。
今のようにVRで遊べるTRPGを作るサークルでは無く、ただのTRPGサークルとしてクトゥルフ神話TRPGのオリジナルシナリオ「地下壕の讃美歌」を頒布し、友人が優秀だったおかげで結果的に収支はほぼ+-0で終えました。金の無いガキでも何とかなりましたし、非常に貴重な経験でした。

お恥ずかしながら、この頃はケイオシアム社の利用規約を知らない状態でした。今はCoCをやめてエモクロアTRPGのシナリオを作っています。

お客さんは自分や友人の知り合いでも無いのに自分の目の前にやってきて、財布からお金を取り出し、シナリオ本と引き換えにお金を自分の手に渡してきます。その所作を見て電流が走った訳では無かったのですが、それを繰り返す毎に不思議な高揚がありました。

弊サークル(主に自分と副代表)は「人生を変えるような作品を作りたい」「自分が求める最高の景色を見たい」「自分の人生史に何か刻みたい」などのモチベで制作をしていたはずでしたが、これを通して「貴方が渡してくれるお金が欲しい」というモチベができたように感じます。

そしてこれがC94から1年半の休止期間を取り、VR-TRPGサークル「ぐだぐだぶとん」として復活する動機になりました。サークル員を拡充する際に私は「好きな物を作り上げて欲しい。そしてあの時の体験を一緒にして欲しい」というようなことを言った気がします。(活動再開してから1年半経っているのであまり覚えていない)

このモチベについてちゃんと説明する為にこの半年前の話をしましょう。コミックマーケットの半年前、私はCGで映像を作っていました。音ゲーのMVみたいなやつです。文化祭で(似非)プロジェクションマッピングという形でそれを流しました。

そして失敗に終わりました。映像自体のミスもありましたが、一番大きかったのは投影位置のミスです。一人で企画・映像制作・外部交渉や他の雑務などをして十分な作品を締切までに作り上げるのは、当時の私には無理があり、綻びが生じたのです。

しかし、友人や両親から「良かった」というコメントは返ってきます。

確かに自分の企画や当初の設計、プロジェクションマッピングについて知らない人から見たら、あまり違和感の無い作品だったのかもしれませんが、それでも信じる事はできません。あれは、失敗作だった。夢見た光景には届かなかった。所詮人付き合いの評価なのだと思いました。

最後の文化祭という大舞台。半年の地獄のような作業を賭けたにも関わらず、人生を変えるような作品には届かず、与えられたのは「良かった」という信用性の無い言葉だけ。

それを踏まえて考えるとクリエイターにとってお金を受け取る事は信用がある一定の評価を受け取る事だと言えるでしょう。至極当然の事ですが、大事な事です。

対価を支払うというハードルをプレイヤーが越えてくることは、「人生を変える作品を作る」事を目標にしているクリエイターにとって、その目標に近づいた証であり、非常に嬉しい事なのです(承認欲求だけならTwitterのいいねRTで良いけど)。人付き合いで買ったとかではなく、作品を通して出会って購入まで至ったとかだと尚良しです。

だからこそ、弊サークルは作品を出すごとに有料コンテンツを置くようにしています。「全て忘れてしまえたなら」と「ハローバーチャル」ではNPCアバターでしたね。一応これが無くても遊べるように作られています。毎回有料コンテンツの宣伝しやがってクソが...と思われていたかもしれませんが、今まで書いたような理由でそういうコンテンツを置いています。有料アバターが買われたのなら、それは我々の活動が貴方の人生に何かを与えた証になります。逆にほいしものリストとかは一生やりません。人付き合いとしての性質が強くて性にあわないので。

渡される事の意味

お金を手渡しされる事にも意味がありますが、ここに共感できるかは結構人それぞれかもしれません。

さて、人間の感情は連続的に変化していると思います(離散的だとする派閥もあるっぽい...まあ特に根拠を設けず直感的に感情の変化が連続的だとする派閥を今回は取りますが)。0秒にて「嬉しい」だった感情が+0秒において「悲しい」に不連続的に変化する事は無いと言って良いでしょう。(良いよね?)

それに伴って感情に作用する事象も連続的な動きの方が理解しやすいはずです。「お金を払う・評価を与える」という事において、有料アバターを着た人がパッと目の前に登場するより、「人が目の前に来て、財布のお金を手に取り、自分に渡してくる」という無駄な動作がある方が感情が動くのでは無いでしょうか。(学術論文だったらぶち殺されるレベルの文章ですが許して)

ある種、お金を渡される事は表彰式に似ています。形式化する事で強く実感できるんですね。

あと実際にこんな人が買ってるんだ!と分かった方が実感が湧くというのもあります。VRで実感が湧かないのは私がまだVRSNSに完全に適応していないからでしょうか。とは言っても完全に適応した人が正義だという訳でもなく。
VR上の即売会も素晴らしいと思いますし、制作者を尊敬していますが、しばらくは現実の(対面の)即売会を第一目標に掲げて活動していこうと思っています。

終わりに

「お金を払う」という行為は無機質な売買では無く、信用できる評価を与える行為でもある。言葉にされて聞いてみると当たり前のようですが、実際に物作りをしてそれを受け取るという行為をしてみると人生に刻まれる程に実感できるかもしれません。五流クリエイターの私が言うのもアレですが。

そして、コミケでの「お金を渡す」という行為の繰り返しは、私にとっては何度も行われる表彰式です。制作・即売会において「お金が欲しい」という動機も存在するのは確かですが、「貴方が渡してくれるお金が欲しい」という動機もあるという事をひとつ頭の隅にでも置いておいて下さい。

ということでお相手は、逆凪でした。




ほんとうの最後に

noteの記事で保険をかけとく事はいつもはしないようにしていますが、今回は自分の大事な価値観なので一応保険をかけておきます。

流石に「社会人じゃないと!」とか「お金ってのはさ...」などと意気揚々とTwitterの140字に謎の信用を置いて語ってくる輩がいないと信じていますが、最初にも言ったように「こんな人もいるんだな」の記事です。今回取り上げたお金に対する価値観は私のお金に対する価値観の一部であり、少なくとも一人は抱いている考えです。自分は共感できた・できなかったに関してはご自由にツイートして頂いて結構ですが、過度な自語りおじさん・とりあえず否定マンにはここのスクショをぶつけるので悪しからず。

あと一応ぐだぐだぶとんのホームページリンク置いときますね。


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