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ボードゲームはひとりでできないもん。

ブログをはじめて10年以上。
ブログをきっかけに仲良くなった友人・知人にも、"10年来の仲"という概念が登場してきた。

このような友人との共通点は、当然ながら"ヴィジュアル系ギーク"であることなのだが、10年も経つとお互いのライフステージが変わってきたり、新しい趣味が出来たり、と常に同じ温度感ではいられないことを痛感することもしばしば。
"上がって"しまって疎遠になるというケースも少なくない。

一方で、ヴィジュアル系以外の趣味でも共通項を見つけて、定期的に集まっているグループもある。
もともとは定期的に集まってギャ男トークをするグループだったのだが、やはり温度感の違いは避けられず、話題はマンネリ化。
人間関係上の問題も生じて、徐々に連絡も途絶えがちになっていた。
そこでカンフル剤となったのが、僕らの場合、ボードゲームであった。
ギャ男のプロトタイプみたいな集団であれば推して図るべし、なのだが、コツコツとやるゲームは好きなのだが、人数を要するパーティーゲームとなると、とんとプレイする機会がない。
アナログなボードゲームへの憧れがあるものの、行動に移しきれない陰キャにとって、四半期に一度ぐらいのペースでボードゲームカフェに閉じこもって、ひたすらゲームに打ち込むという会合の創設は、願ったりかなったりで、熱中するあまり、バンドの話はしなかったな、なんてこともあるぐらいだ。
コロナ禍の影響でしばらく休止中だったものの、最近、また復活の兆しを見せているぐらいには、モチベーションが枯れないでいる。


さて、僕がボードゲームへの執着を変にこじらせたきっかけは、おそらく幼少期にある。
祖父母の家に、従妹たちと集まったときに、叔父のはからいで、みんなで遊ぶボードゲームを買ってもらえることになった。
僕はウルトラマンのボードゲームが欲しかったのだが、男女比1:4という圧倒的アウェイの状況下、当時アニメが放送されていた「悪魔くん」のゲームを買うことで落ち着いた。
というか、もっとも年長の従姉の鶴の一声で、そもそも議論にすらなっていなかったようにも思う。

その日は、子供たちで仲良くゲームを楽しんで終わったのだが、問題は、その後の当該従姉の発言だった。

「これは私が買ってもらったやつだから、私がいないときにやるのは禁止」

色々ツッコミどころはあるが、年長でガキ大将気質の従姉らしい発言ではある。
では、何が問題かと言えば、東京に住んでいる彼女は、2年に1度ぐらいのペースでしか、宮城の田舎にある祖父母の家には来ないのだ。
比較的近くに住んでいて、月1ペースで来る機会がある僕にとって、ボードゲームがそこにあるのに、プレイすることは許されないというのは生殺しだ。
今思えば、律儀に言いつけを守る必要もなかったのだが、ガキ大将の発言は、子供にとっては呪いのようなもの。
子供にとっての2年は極めて長く、ボードゲーム本体はおろか、アニメの「悪魔くん」を見るだけで、鬱々とした気持ちになっていた。

その結果、僕は「悪魔くん」を隠すことにした。
未練を断ち切るために、カードやフィギュアもバラバラに、それぞれ自分が思う限りで絶対に見つからないであろう場所に隠した。
単純に目に触れないようにする、という目的もあったはずだが、いつの間にか、ゲームへの憧れが、それを禁止する従姉への復讐心へと変わっていたのだと思う。
従姉がふたたびやってきたときに、「楽しみにしていたゲームは、もうできないからな、ざまあみろ!」と言いたかったのである。
ヨナルデパズトーリのフィギュアを洋服ダンスの中に隠したことは覚えているものの、他の小道具をどこに隠したかは、まったく記憶にない。


2年後、従姉はやってきた。
しかし、子供向けアニメはすっかり卒業していた彼女は、とっくに終了している「悪魔くん」のゲームなど、あったことすら忘れていた。
妹をはじめ、他の従妹たちも特に関心はないようで、結局、ゲームに執着していたのは僕だけ。
僕は、果たすことができなかった復讐心を抱えたまま、その後の人生を歩むことになっていくのである。

まさに悪魔に憑りつかれていたように冷静さを欠いていたな、と思っているが、大人になってからも従姉への復讐心は燻っていただけに、ボードゲームへの歪んだ想いを解消させてくれたギャ男の会合には感謝が尽きない。
間接的ではあるが、こんなところでもヴィジュアル系に救われていたのだな、という強引な締めで、話を元に戻すことにする。
そのうち、この会合のメンバーでリアル脱出ゲームなんかにも挑戦してみたいので、次は脱出ゲームにまつわる幼少期のエピソードを用意しておかないといけないだろうか。


#思い出のボードゲーム

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