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「神の子」から人間になった鬼束ちひろ

先日の兄との対話の記事でも少し触れたのだけど、好きな音楽は何かと問われれば日本のHIPHOPで。

とはいってもまったく詳しいわけでもなくて、ゼロ年代前半ごろに聴いていた日本語ラップを延々と聴き続けているようなところがあって、MURO、TWIGY、BuddhaBrand、NITRO MICROPHONE UNDERGROUND、RHYMESTER、といった面々がプレイリストで無限のごとくリピートされている。

だから強いこだわりがあるわけでもないのでJ-POPにも抵抗なく、同じころ、ミスチルなんかも普通に聴いていて、鬼束ちひろも、割と好きだったりして。今もまだ。

息子が3才くらいになるまで寝かしつけの子守唄に「King of Solitude」と「ダイニングチキン」を使っていたというのは、実は奥さんも知らないのだけど、いつか息子がそれを知って「親父マジか、病んでたんだな」と言われやしないかと、それはそれで少し楽しみにしていたりする。

自分が子どものころ実家の母親の車の中でいつも中島みゆきが流れていたので、たぶん似たようなもんだと思うが。
「病んでんな」とは思わなかったけれど。

Rainmanのやさしさと不穏さ

なかでも気に入っていたのが「Rainman」(2004)という曲。聴いていたのは2007年のアルバムバージョンだけれど。
「月光」以来、鬼束ちひろという人はちょっとした「闇≒病み」のイメージを背負うことになったと思うのだけど、あの感じとはいささか違う、やさしい旋律がまず印象的で、どしゃぶりの情景とは裏腹にとても穏やかな聞き心地。

そして歌詞。


Such a lonely rainy day
My shoulder is drowned
Why do you wait for the rain to stop with me?
Sad news will visit again
And I know I will get lost
Please show up in such a time Mr. Rainman

「晴れの日も雨の日もいつもそばにいて」ではなくて、「そのときはまた姿を見せて」という、その微妙な距離感に、はたち前後の多感なころに揺さぶられたのを記憶している。


I know that you don't know me
It makes no difference at now
We just look in rainy town That's enough

「病み」のイメージは、ともすると恋人や親しい者に対する執着や依存のイメージとつながりやすいと思うのだけど、「あなたは私のことを知らないけど、そんなの今は問題じゃない」というこのあっさりとした幸福感に、いい意味でのギャップを感じた部分もあったのかもしれない。

しかしまだこの時点では、既存のイメージが塗り替えられたとまでは感じられず、たとえば「HIDE AND SCREAM」(2008)で「知ってるつもりだよ」「君は僕のもの」と繰り返されるサビには、やはりどこか不穏な響きを感じとってしまうのであって。


知ってるつもりだよ
強い君が強がること
大きくて小さくて だけどもう
放って置かないよ
HIDE AND SCREAM
君は僕のもの
知ってるつもりだよ
YOU'RE SO PRETTY ANSWER
君は僕のもの

実はこの曲、個人的にはあの「Rainman」のアンサーソングのように聴こえていて。
それはミディアムテンポのやさしい曲調がどこか似ていることに加えて、「そのときはまた姿を見せて」に対する「放って置かないよ」「君は僕のもの」という<会話>が、不気味に成立するように思えたから。

「BILLYS SANDWITCHES」以後

イメージが大きくは変わらなかったのは、このときすでに声帯の手術や体調不良による何度かの休養と活動再開とを繰り返していたことも影響しているかもしれない。

そしてさらに2013年、テレビ「アウト×デラックス」に「奇人」として出演したときには、そのイメージが強烈に上塗りされたわけなのだけど、翌年、同番組に再出演した時期がおそらく、そのイメージが変容していくころと重なっていて。

マツコに「いい恋してるのよ」「幸せなのね、今」とイジられて見せた薄化粧の照れ笑いには、またすぐ脆く沈んでしまいそうな不安定さはなく、むしろ浮き足だたない冷静ささえ感じさせた。

前後して活動名義を変えた「鬼束ちひろ & BILLYS SANDWITCHES」の「The Way To Your Heartbeat」(2014)では、言葉はシンプルながら、決して軽くはない、生きることに対する確かな希望が歌われている。


The Way
The Way To Your Heartbeat
夢を叶えるための足跡
遠い昨日 そして今 それは証拠
そして力になって
全ての鼓動へと続いてゆく

同じく「ROAD OF HONESTY」(2014)では、


JUST A MOMENT
JUST A SWEETEST
JUST A WHEEL
JUST A REAL このまま生きてゆけるの
JUST A MOMENT
JUST A SWEETEST ROUND ABOUT
OH YOU JUST GO

人間・鬼束ちひろが紡ぐ物語

昨年8月、シングル「ヒナギク」を発表したあとの「ナタリー」のインタビューで、自身のイメージのこと、そして歌うことについて彼女はこう語っている。

(──歌うことを苦しく感じるときもあるんですか?)
「うん、やっぱり“鬼束ちひろ”を背負ってるから。私を全うしなきゃいけないっていつも思っていて、それが負担になるときがある。義務のように感じてる。」
「でも速く走りすぎてて止まり方がわからないんですよね。」

(──これまでの活動を振り返っていかがですか?)
「無駄と思えることも絶対つながるってことが37年生きてきてわかったんです。ヒナギクも無駄に花の名前を覚えてた時期があってそれで知ったし。私は「人生の無駄は心の宝」って思ってて、無駄をすごく大事にしてる。」

ともすれば非常に凡庸な言葉にも見えるかもしれないけれども、生き抜いてきた者だけが伝えられる実感がある。

「神の子(God's child)」として「どこにも居場所なんてない」と叫んでいたころの、突き刺すような歌声の強烈さは確かに失われてしまったけれど、1人の人間として、「このまま生きていける」という確信と希望を伝えてくれる力強さを、今の彼女には見ることができる。

「ナタリー」の同じインタビューで、

(──曲の主人公は鬼束さん自身ではないんですよね。)
「全然ない。こないだ見てもらった占いの人によると私は小説家にめちゃくちゃ向いてるらしくて、でも文章はヘタだから歌詞を書いてる。物語を書いてる感覚です。」

と語っているのだけれど、実は10年前の2008年「papyrus」のインタビューでも、

「自分の感情を垂れ流すのではなく、物語を作るように曲を生んでいるんです。私の曲作りは、小説家や作家に近いのかもしれない。」
「意識しなくても自分の経験や感情は根底に流れているし、自然に漏れているものですね。」

とある。

2018年末、年明けに予定されていたフランス公演がまたしても体調不良により中止になったことが発表されたのだけれども、生きるためにひと休みする強さを得た人間・鬼束ちひろが描く物語に、今から静かに期待している。

#雑感 #音楽

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