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1年の長さ

寒い。

年が明けるとぐぐぐと寒さ深まるのは毎年のことのような気がするのだけれど、「冬ってばこんなに寒かったっけか…」とげんなりするのもまた、毎年のことのような気がするもので。

1年という時間は大人になってからはとくにあっという間ではあるけれど、冬の寒さを身体が忘れる程度には十分な長さなのであって、人間にとって実に「ちょうどいい」時間単位なんじゃなかろうかと思うこれもまた、毎年のこと。

「今年の目標」

それは夏の暑さでも同じようなことなのだけど、とくに冬にこの思いに至りやすいのはたぶん、正月に「今年の目標」の設定とその前段としての前年の「今年の目標」の振り返りという行事が存在するからで。
いや、しなくてもいいのだけど。

この行事はたいてい、過去の自分が見越した1年に対して「なんだよ、全然できてないじゃん」であったり、「夢でかすぎるよ」であったり、「はて、こんなこと考えてたっけ?」であったりといった反省から始まり、そのくせそれを踏まえて目標の立て方を工夫するでもなく、「今年こそは」と前年と同じノリで決意めいた言葉を吐き、そして同じ過ちを繰り返すに終わる。

そもそも私は目標に向かって努力するということそれ自体が割と苦手で、それが大人としてダメなのは頭ではわかっているのだけれど、「まあ、なるようにしかならない」というその態度の方がより大人なんじゃないかと思ってしまうくらいにはさらにダメなので、目標を立てるという行動に対して真剣には向き合えない性分なのであって。

だから1年も経つと「こんなこと考えてたっけ?」となるのは言わば必然、むしろ「ああ、この1年でまったく違うことを考えるようになるくらいには成長したんだな」などと自分を褒めたくなるくらいである。

振り返って繋ぐ点と点

高校生なんかのころ「志望校合格!」「県大会ベスト8!」などと目標を立ててそれに向かってまっすぐ邁進することができた素直さは、大人になって、いっしょに生きる大切な人や仲間ののっぴきならない事情のために自分のちっぽけなプライドなどひん曲げて妥当、という場面をいくつも過ぎてきたことで、だんだん失われたのだと思われる。

いま想像もつかないことがきっと、いや、必ず起きる。必ず、だ。
それが大前提であるので、予め目的地を設定して予想外のできごとにうろたえるよりも、その時々の場面に真剣に最適解を選んだ先が行き着くべき場所、という思考回路になるというわけ。

スティーブ・ジョブズの2005年スタンフォード大卒業式での有名すぎるスピーチの一節。

「将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。」

おわかりだろうか、ダメ人間は自分を正当化するためには偉人もそれっぽく引っ張り出す。

変化は求めもしないのにやってくる

しかしこれが私の実感にも近いのであって、1年という時間は、望む姿に自分を変えるのにはきっと短いけれども、思ってもいなかった姿に変わってしまう程度には、十分に長い。
たとえば1年前、noteを始めるなんて思ってもなかったし、仕事をかけもちするなんてことも、通勤電車の楽しみ方を覚えるなんてことも、ビジネス書や女性作家のエッセイに救われることがあろうなどとも、想像さえしなかった。

良し悪しは別にして、この変化そのものが、この1年を生きた確かな証だと思うのであって。
「僕の後ろに道はできる」という、これも飽きるほど聞いた言葉だけれど。

年始に読んだビジネス書の「まず1年後、5年後、10年後の目標を手帳に書きましょう」というベタなハウツーに触発されかけて「<1年後の目標>」とだけ書いた無印の手帳のそのページは、もう何日も空白のままである。

#雑感 #名言

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