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緊急事態な日々④-まだまだ序章の3月

このマガジンでは、まとまりきれてない考えごとの断片を置いていきます。
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更新が滞っている間に「緊急事態」は明けてしまいました。

歴史に大きく記述されることになるであろうこの期間、のちに振り返ってあのとき自分はどんなことを考えていたのかってことを思い出すための備忘録として「いま」を書き残しておきたいと思っていたのに、話はまだ3月、「宣言」の前で止まっているという体たらく。

しかし別に誰に怒られるわけでもないのだし、この瞬発力のなさも自分らしいくらいに思えてもいるのだし、仕事が落ち着かなくて書けなかった期間を生き抜いて、やっと少し心休まっているこの午後のカフェに感謝しながら、ちょっと前の「あのとき」を書いておきます。


突然の休校要請や外出自粛要請を受けて、仕事の上では政治に振り回されていた3月は、他方、生きるとか死ぬとかいうことについて、あれこれと考えていた季節でもあったのでした。
(こうして風呂敷を広げすぎるから書くのが億劫になるということはそろそろ学習した方がいいところだと思うのだけど。)

あれから9年となった3月11日には黙祷を捧げて、亡くなった命と残された命に想いを馳せ、3月は自分の誕生日もあって、そろそろ短いとも言えなくなってきている自分の生きた年月を思い、そして今年はコロナウイルスによって世界中で多くの命が失われ、多くの人が命を失う恐怖と向き合わされているそんな最中に。


3月16日、相模原障害者大量殺人の植松聖被告に死刑判決が出されました。

相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者ら四十五人を殺傷したとして殺人罪などに問われた元施設職員植松聖(さとし)被告(30)の裁判員裁判で、横浜地裁は十六日、被告の完全責任能力を認めた上で、「十九人もの人命が奪われた結果は他の事例と比較できないほど甚だしく重大」として求刑通り死刑判決を言い渡した。
(東京新聞)

被害者や遺族にとっては不合理な悲劇としかいいようのない事件のことを思い出してその悲しみを思うのに加えて、死刑によってまた一人が死ぬことになるというそのことに、沈鬱な気分を引き起こされたのでした。


しかし第一印象ではそれ以上に深堀りすることなく「気分」で受け流しかけていた数日後、この判決についてのあるインタビュー映像が、まるでそれを許さぬように、TwitterのTLに飛び込んできます。

それは北九州で生活困窮者支援を行うNPO法人抱撲(ほうぼく)の理事長であり、牧師でもある奥田知志氏による、2分20秒の短い映像。

https://twitter.com/chooselifepj/status/1239866957379145734?s=12
彼が引いたと言われる分断線、「役に立つ人間」と「役に立たない人間」、「意味のある命」と、「意味のない人間(命)」。
多分、事件の直前、彼自身が「意味のない」方に属している。このままだったら自分は、自分の論理からしても、殺されるしかない。そこを彼は一気に解決しようとして。
彼にとっての「役に立つ」は「障害者を抹殺する」ということだった。
これ結論まったく間違っている。でもその不安ですよね。
「俺は生きてていいのか?」というこの問い、それに対する答えがない。

植松君の方が全く真顔で「それは(障害者は)不幸だ」と言い切ったわけだから、「そんなことない」「これが幸せだったんだ」という、その議論を積み重ねていかないと、彼には勝てないと思いますね。


「俺は生きてていいのか?」という不安が反転したものとしての他者への暴力。

それは甚だ身勝手な論理かもしれないけれども、やはり加害者個人の問題に押し込めることのできない、それも悲劇だと思うのであって、たぶん2008年の秋葉原の大量殺傷事件とも地続きのこの「時代」の悲しさに、その夜は身体の疲れもあいまって止めどなく涙があふれるのでした。


また別の事件では、「生きてていいのか?」というその「不安」から、自ら命を絶った人もいました。

3月18日、森友問題に関する公文書改ざんをめぐって自殺した元財務省職員の手記が公開。

事案を長期化・複雑化させているのは、財務省が国会等で真実に反する虚偽の答弁を貫いていることが”最大の原因でありますし、この対応に心身ともに痛み苦しんでいます。
朝日新聞

公文書の改ざんという事の重大性に心を痛め、もう生きてはいられない、生きていてはいけないと思い至った赤木俊夫さん。

これも悲劇としか言いようがなく、歴史や国家行政の営みというものに対して誠実であったからこそ抱いたその苦しみを思うと、誠実な人ほど生きにくい、これもまた「時代」かと悲しくなるのでした。


世の中で話題になった人だけではありません。

実は僕は身近に「死にたい」気持ちと闘っている人がいて、植松死刑囚や赤木さんのことを考えることは、その人のことを考えることでもあって。


思うに、「自分は生きてていいのか」「生きる価値があるのか」という問いに対しては、まず言うまでもなく、生産性などという評価軸で他人に回答させてはいけない。

しかし一方で、自分一人でその結論を得ようとしてしまってもいけないのではないかと思うのです。


その試みは往々にして失敗すると思うから。

だいたいそんな問いが真剣に発せられた時点で、8割方は「No」の方に重心が傾いてしまっているのが心身の状態であるはずで、そこから一人で逆転の「Yes」に到達するのはとても困難。


他者の視点を経由しなければ、自分の価値を認めることはなかなかに難しい。

たとえば仕事や技術の評価といったようなレベルでは多くの人が納得するであろうこのことは、生きる価値という極限の場面においても妥当するんじゃないでしょうか。

誰かが「生きてていい」「生きてほしい」と言うのなら、あるいは「あなたがいてくれてよかった」と言うのなら、あなたは生きていていいはずで。

そして不安定な自己評価から離れ、その言葉に身を委ねることができるなら、先の問いに対しても「いい」と答えることができるのではないかと思うのです。

自分の生きる価値を他人に決めさせてはいけないということと矛盾するようでもあるけれど、「自分は生きてていいのか」という問いに対する答えは、あなたを思う他人がもっていると、そう考えることも、生き抜くうえではきっと重要で。


そして、「あなたを思う他人」、そんな関係性を他者と築けない人が存在するというのなら、そこには社会の失敗を見るべきだと思うのであって、その個人の問題にして放置していてはいけなくて。

人が、「自分は生きてていいのか」という袋小路にはまり込んでしまうような、そしてそれに対する「いいに決まってる」という他者の声が届かないような、そんな孤独に陥ってしまうというのなら、社会はその孤独に対してこそ手当をするべきで、なすべきことはその人に対して生産的価値を高めるツールや訓練を提供することでもなく、まして奇人扱いすることでもないはずだと思うのです。


僕は「死にたい」と闘っているその人に、「生きてていいに決まってる」「生きてほしい」と声を届ける、そんな他者でありたいと願っていて。

3月半ば、その人が自分語りに「こんなんでもいいのかもって思い始めた」と語ってくれました。

必要以上に自分を責め、縛り、貶めてしまうことで苦しんでいるその人が、自分の不完全さをわずかばかりゆるし、受け入れ始めた瞬間に立ち会ったと感じ、希望と、喜びと、しかし油断してはいけないという自戒と、それでもなお余りある、なんとも幸福な気持ちに満たされました。


あれから3ヶ月、事は一筋縄ではいきません、今日もその人は闘っていますが、でも少しずつ、少しずつ、あの問いに対する「いい」の到達点に、近づきつつあるようです。


3月は最後に都心で32年ぶりの積雪があり、話は4月、ようやく緊急事態宣言期間中に進んでいきます。

つづきます。

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