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世の中が嫌いな話。


2時間。
アイデアが何も浮かばないあの鬱屈とした部屋を飛び出し、散歩をしてから2時間が経とうとしている。
歩きながら物思いにふけると面白いアイデアがよく出る。
本当はこんな夜更けに出歩かなくてもパパッと曲を作れれば良いのだが、生憎ぼくはそこまで器用じゃない。

やべぇ、足が超痛い……
安物のサンダルを履いてるこの両足は限界を迎えようとしていた。
何で人は歩き過ぎると足が痛くなるのだろう。

この痛みが嫌いだ。
不便で仕方ない。
この外の暑さが嫌いだ。
帰ったらシャワー浴びなきゃいけないじゃないか。
ぼくはぼくが嫌いだ。
こんな回りくどい方法じゃないと曲の一つも作れない自分が情けないのだ。
もっと器用でいたいのに。
世界が嫌いもので溢れていて発狂してしまいそうだ。
思春期の延長線上にあるこの感情のせいで生きづらくてしょうがない。

昔読んだ本にはこう書いてあった。

「世界が嫌い」とは世界を否定しているということ。
否定しているということは生きづらいということ。
だから世の中が嫌いな人は生きづらくて当然だ。

全くその通りだと思う。
反論する気も起きない。
ではこの「嫌い」という感情をどう処理すればいいのだろう?
「嫌い」を無くせばいいのだろうか?
結論から言うと無理だった。
嫌いなものはどう工夫しても嫌いだった。
中には年を重ねて嫌いじゃなくなったものもあるが、それでも依然として嫌いなものが多い。
多過ぎる。

世の中には「全部好き、嫌いなものなんかない」なんて言う人もいるが、ちゃんちゃらおかしいね、と言いたい。
そういう人達はまだ捕まってないタイプの詐欺師と何ら変わらない。はらわたが煮えくり返る。
時代が許されるのならドロップキックしてやりたい。
好きも嫌いもあってこその人間だろうに!
「嫌い」が多すぎるとそれはそれで問題なのだが。

だから「嫌い」を相殺する「好き」を探していきたいのだ。
でもぼくは何が「好き」なのだろう?
うーん、音楽と…………アニメかな。
少な過ぎる。
悲しくなってきた。

なので消去法作戦を思いついた。
「嫌い」なものをとにかくリストアップしていくのだ。
そうすれば自ずと「好き」なものが浮き彫りになるのではないかと考えた。
我ながらなんて後ろ向きな作戦だろう。
でもそれが一番しっくりくるから仕方ないじゃないか。
そういう訳でこの note では「嫌い」なものについて書いていこうと思う。
ぼくが「好き」を見つけられるその日まで。

そろそろ足裏の感覚も無くなってきたので部屋を戻ることにしよう。
結局、3時間も歩いて疲れたのでそのまま寝てしまった。
あ、曲作るの忘れてた。

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