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今週の台所・鶏とゆず紅茶と揚げ物と

先週末頃、胃の調子がどうも悪かった。原因は、いくつかあったと思う。長年ずらさなかったごはんの時間をずらしてたり、仕事でうまくできないことが多くてかりかりしていたり。私は、うまくいかないことがあるとドカ食いをする傾向にあるのだけど、家で仕事をするようになってその傾向は悪化し続け、調子が悪くなったのはそんなときだった。

思っていたよりも体はずっとデリケートで、表面には見えなくても、内側ではどすんと体を追い詰めているのかもしれない。今まで無理をしてきて大丈夫だったからといって、それをずっと続けていてはいけない。そんな風に、漠然と思った。

ここから、生活時間を見直し、ごはんの時間はなじみの時間に戻し、よく歩き、よく水を飲み、食事のバランスにも気を配るようになっていく。それから、これは数週間続けているのだけど、前より一層、自分の調子に合わせてごはんを準備すること、食べたいものを作ることを心がげた。すると、かいあってか調子はよくなっていった。

でも、よかったのはそれだけではなった。しばらく続けている「なにが食べたいだろう」と訊ねる習慣は、日々のごはんの時間を前よりも楽しみなものにしていった。

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友人にもらったちりめん山椒が、今週の楽しみなご飯のお供。そして、鶏ブームも到来。鶏と油揚げ、冬瓜などの野菜を入れて作った味噌汁がよかった。鶏と油揚げからほどよい油分が出て、だしいらずでおいしい。

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秋っぽく、さつまいもと鶏肉を揚げて、醤油麹を合わせてみたりも。鶏とさつまいもと油が合う。しみじみとおいしかったなあ、また食べたいなあと思うものだ。

「ご飯のお供は? 主菜はなにを食べたいだろう?」、「コーヒー、紅茶、緑茶、どれが今飲みたいのか?」といちいち考えていくのは、だいぶ面倒だ。ただ、それをしぶとく続けていると、自分のそのときのリズムと合うからか、なんだか日々過ごしやすい。

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基本的に腰が重く、なにか食べたくても作らないことが多かったから、「食べたい」を実現していくことの効果は大きい。とにかくおいしく感じられる。そうして、今日はこれを、夜はこれを、と小さな楽しみを日々に足していくと、ごはんのときの「なんかいいな」感が増して、ごはんの時間がちょっとずつ楽しみになっていく。そんな循環があったように思う。

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ずっと食べたかったけど、先週は食べたい気分にならなかった揚げ物も。

「人の体は動くようにできている」、「こころと体はつながっている」。よく耳にする言葉も、しっくりときた。よく歩くようになったら自然とお腹は空き、散歩が好きなのもあるだろうけれど歩くと単純に気持ちがいい。そして、自分に「今日はなにを食べたいだろう」と地道に訊いていくと、食を含め心身状態がすこしずつ把握しやすくなっていく。気分の上がり下がりも前よりはわかるようになって、ほんのすこしだけど、日々生活しやすくなったなあと思う。

なんていうか、この取り組みは食生活に「きらめき」みたいなものを足してくれた気がする。ごはんを待つ時間が楽しみで、皿を並べたときもわくわくして。で、最近おもしろいのがその影響がすこしではあるけれど、じわじわと他の暮らしの部分にも波及している感じがすること。適度な生活リズムを大切にしつつ、いいバランスを自分の中につくっていきたいなあ、そんな風に思う今日この頃です。

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