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戦争を知らない子供たち

8月13日
wowowで録画しておいた「ラーゲリより愛をこめて」を今日観ていた。
観ていて私が小さい頃流行った「戦争を知らない子供たち」というジローズの歌を思い出した。1945年に戦争が終わって1970年に発表されたこの楽曲、私は当時小学生だった。終戦年に生まれた人は25才、終戦時に5才だとしてもようよう30才。まだ戦争という大惨事と戦うこともなく大人に守られて生きていた世代だ。1945 - 70年に生まれた私もしっかりこの世代に含まれている。
この楽曲が流行っていた時代は町のお祭りに行くと神社の鳥居の手前に軍服をきた元兵士を必ずといっていいほど見かけた。戦争で負傷し足や腕など身体の一部を失くした人が自らの前に缶や布の袋を置き、松葉杖を使い立っていたり、地面に座ってたりしていた。その頃はまだ私たちの目の前に戦争の残像は残っていた。(そういえばちょんまげ頭の人もなぜかまだ存在した)

そういう時代が過ぎ去り私たちが成人後の1980年以降日本は急激な成長期を迎える。電話やコンピューターの移り変わりは激しすぎ先に生まれた者がずいぶんと置いて行かれる時代に入った。子供の頃贅沢だった物が安価で手に入り、行けなかった海外にも簡単に行けるようになり、遠くの人ともいつでも無料で画面でやり取りができるくらい便利になってしまった。
私たちが子供の頃贅沢だと思ったことが今の世代では当たり前になり、無いと不自由と文句を言い始める。無い事がおかしい、サービスが足りない、もらえて当たり前、そういう空気が世の中に飛び交う時代になってきた。昭和→平成→令和と3つの時代を駆け抜けてきた。

そんな中、いつもこの時期にはっと気づかせてくれるのが戦争ものの作品だ。二宮和也さん演じる山本幡男さんの戦後12年のラーゲリでの生活とそれを待つご家族の思い、山本さんが生涯を閉じそれをご家族が知り最後空を見上げるまでの気持ちの動き、自分は今なんて贅沢な環境に置いてもらってるのだろうと改めて感謝する。国家間の喧嘩で人の人生が分離され家族の死に目にも合えない不条理な苦しみ。比べたら今の世を生きる人たちの不満が砂粒ほどの小ささに思えてくる。本当に私たちは足りない暮らしなのか。

たまたまTwitterで見た動画だけど、
「私が今あなたに一億円あげると言えば貰いますか?断りますか?」
  「もちろんもらいます!」
「では1億円貰ったらあなたは明日死ぬと言われたらどうしますか?」
  「それなら断ります。」
そんなやり取りだったと思う。答えた人はそこで気づく、命ほど大切なものはないんだと。私たちはふだん自分の命はあって当たり前だと思って生きている。でも突然何が起こるか判らない世の中だ。事故、事件、病気、、、。

命がある。当たり前のように生きている。自由も与えられている。日本。

こんなことを考えるのは八月のお盆のこの時期だからかもしれない。今一度自分の周りにある当たり前と思っている物たちを優しい目で見渡して、ありがとうの気持ちで大切に扱うことも善いことだと思う。ラーゲリは行ったこと無いけどその時代の人たちの伝えたいんだろう言葉は画面の中からたくさん届いた。もしかしたらこれは先立った私をよく知る人たちからの人生のヒントなのかもしれない。伝える為に私の近くに還ってきているのかも。。。

8月15日
78回目の終戦記念日。
私の周りは既に戦争を知らない人だらけです。
伝えられる人も毎年どんどん減っていきます。

▼ 毎日新聞 8/15(火) 12:05配信
78回目の終戦記念日「戦争の惨禍、繰り返さない」戦没者追悼式(毎日新聞) - Yahoo!ニュース 

戦争を知らない子供たち
聴いたことが無い人はいちど聴いてみてください ♪ 昭和の名曲

Spotifyより ジローズアルバム「戦争を知らない子供たち」https://open.spotify.com/intl-ja/album/1b5CzvL4WfhB35spKzqeFS?si=SD5OscDCQt20yA673jmwZQ

写真をお借りしました。Photo bytarostagram

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