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誕生日と命日と

昨年七月に或る俳優さんが亡くなり、その後のSNSやコメント欄を見ていてそこから抜け出せなくなった。勿論私の日常はなんら問題なくいつも通りに進んでいたのだけど、ただひとつ私の頭の中をぐるぐる回り始めたのは「命」という一文字だった。命、生命、人生、と自分はどのように向き合って生きているのだろうかという疑問が湧いてきた。

厚生労働省が7月30日に発表した簡易生命表によると、2020年の日本人の平均寿命は女性87.74才、男性81.64才となるそうだ。https://mainichi.jp/articles/20210730/k00/00m/040/292000c
毎日新聞 2021/7/30 17:53(最終更新 7/30 18:23) 参考
「日本人の平均寿命 女性87.74歳、男性81.64歳 過去最高更新」

この数字は今年も過去最高を更新、世界的にもトップクラス。長生きという目線で視ると私たちはとても幸せな国に生まれてきたのだと思う。それでもみんながこの年齢まで生き長らえられる訳ではない。不幸にもご病気や事故、心の病など様々な原因で旅立っていく人たちを見送る。長く生きると何度も大切な人の訃報に出くわしその都度心は地面よりもっと深い場所に堕ちこむ。

最初に向き合ったのは小学生低学年の頃の祖母の死だった。祖父はもの心ついた時にはもう居なかった。祖母は明治生まれ、いつもテレビの前に座っていた。顔や姿や着ていた着物まで今も思い出せるのに話し声はよく憶えていない。口数が少ない人だったのかもしれない。
いつからか祖母の姿はテレビの前から消え自分の部屋でずっと寝ていた。ずっとと言っても何年もではなく、昔の年寄りは延命治療も無く体が弱ったら数か月寝込んで息を引き取る人が多かった。だから当時の80才くらいは今と違って大往生だったと思う。私はこの時生きている人が居なくなるのだということを初めて知った気がする。

その後も死は私の近辺をたくさん通り過ぎて行ったけど、次に大きな衝撃を受けたのは20才近辺だった。同級生がバイクの事故で亡くなっていたと聞いた。それほど近しい人ではなかったので後に人づてに聞いたのだが自分と同じ年齢の人がこの世から居なくなっていることとその人生の短さがショックだった。
30代の頃同窓会に行って顔を見なかった人が病気で亡くなっていたことも衝撃だった。自分の記憶の中ではその人はずっと昔のままの姿で生きていたから突然の話に固まった。中学の頃のお下げ髪の彼女は今もそのままだ。
過去の何年かご縁があり机を並べていた人たちの今はどんなだろう、みんな元気に暮らしているのだろうか。会えなくてもいいから元気でいてほしい。

人は生まれて生きて死んでいく。大切な人をひとり、またひとりと失い、最後は自分も消える。そんな風に周りに学び自分を終える。昔の三世代家族を経験しているから前例に倣う、昔の人の人生は良く出来ていたと思う。
反して、今の人たちは核家族で育ってそういう経験をしていない。祖父母の為に親がしてきたことを隣で一緒に暮らしながら目にし覚えていく。これは実は命を知る為にとっても大切なことだったと思う。きっと今の人たちは田舎の祖父母の葬儀に出ることがせいぜいだろう。その数十年後に大した知識も無いまま自分の親の介護や看取りが突然やって来る。精神的にも大きな負担だろうなと思う。

私は親と同時期に夫も送ることになってしまった。親を送る覚悟はできていても夫の突然の死までは予測してなかったし、衝撃だパニックだと言っている時間の余裕も無かった。だから夫に関してはちゃんと送ってあげられたのかいまだに判らない。
自分が次に向こうで夫と会えたらちゃんと話をして謝りたい。先生は治ると言っていたのに踏ん張れなかったのはなぜかとも聞いてみたい。言いたい事ややり残したことがあれば夢の中で伝えてくれたら代わりにやってあげられるのに、とも思う。でも何も言ってこない。

今日書いている note のタイトル「誕生日と命日と」はちょっと変かもしれない。でもこの1年間いろいろ考えた末の結論がこのタイトルに繋がっている。自分にとって、今まで送ってきた人たちの誕生日と命日はどちらが大切なんだろう、そう問いかけた時に私は誕生日と答えたいと思った。
人が亡くなるとお葬式の後、初七日、百箇日、初盆、月命日、一周忌、三回忌・・・などと弔いが続いていく。しっかりと心を込めて送ってあげることはとても大事なことだと思うし喜んでももらえるだろう。でも先ずは「自分」があってこそだと思う。自分を見失っていて人の事を考えることはできないし、人の事ばかりが頭にあって自分を蔑ろにしていたなら先立った人は安心して眠ってくれるだろうか。

「命日」を考えると悲しい記憶ばかりが浮かんでくる。でも「誕生日」と考えると毎年の楽しい思い出が浮かぶ。誕生日の他にも初めて出会った日や何かを一緒にした日、思い出の地に行った日など、大切な人との記念日は毎年いろいろ廻ってくるはずでそちらを大切な日とする方が送った方も送られた方も穏やかに迎えられるのではないか。
1年や2年ではそこまで心が向かないかもしれないけど、10年過ぎて考えた私は結構真剣にそう結論付けた。神さまや仏さまには叱られるかもしれないけどお墓もお仏壇も命日も実は大切な人を忘れないための象徴であり、心の中にしっかり住み着いて絶対忘れない人ならその象徴は無くてもよいのではとさえ思えてきた。もちろんお墓も行けるなら行くしお仏壇も守るけど、だからお墓で眠る家族たちにはコロナで地元に帰れなくても私は大丈夫だよ、忘れてないよ、と伝えたい。

私たちが大切に思い送った人たちは生きている私たちの幸せを何より願ってくれている。この世界で懸命に生きている私たちの大変さを知っていて守ってくれているはずだ。
だから私たちは先ずは自分を大切に守ろう。送った人の分まで大切に生きよう。そして、思い出すときには笑顔でいよう。八月、お盆がやって来る。
送った人の魂が迷いなく私たちの近くに還ってこられるように自分を正して待っていたい。いろんなことを思い出して心の中でたくさん話をしよう。
平均寿命まであと25年。大切な人たちへのお土産話はどんどん増えそうだ。

2022年8月 追記
この記事を書いてからちょうど1年が経った。この数年コロナ禍でお墓参りができないまま夫の十三回忌を迎えることになり、意を決してお墓の在る地に向かった。法事の日を決める際いつにするか迷うが、今回は誰も招かず近親者のみだったため故人の誕生日に合わせた。生きていたら七十才、古希を祝う日だ。私だけのこだわりだけど、一緒に過ごせたことが嬉しかった。

(写真「ヒマワリ」門田真空さん撮影、notefree素材からお借りしました)

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