ぶしのはじめ②

「左様ではおじゃらぬ」

満仲は言った。「おことは我が源氏の中の出頭人、そのようなおことに我が弟を養子にしてもらえば、我らも除目にありつけようというもの。それでこのようにお願いしたのじゃ」

「ふーむ…」

経基は腕を組んだ。

「そして、左大臣殿(藤原実頼)にお仕えしたい」

満仲は言った。

(なるほど、それが狙いか)

「お礼に、この多田庄を差し上げる」

と言ったから、経基は仰天した。

荘園を寄進すると言っても、収入が全て経基のものになる訳ではない。

寄進地系荘園と言って、荘園を寄進する代わりに、寄進した者は下司という荘園の管理人になり、収入の一部が寄進された者のものになる。

しかし名義はあくまで寄進された者のものである。

このような荘園を寄進する者は、氏素性を持たない者達で、荘園を寄進する代わりに、その寄進した氏族の系図に名前を入れてもらえる。

(やはり我が清和源氏が狙いか)

と思ったが、しかし満仲も源氏なのである。

「ただし、まろが除目に預かればじゃ」

と、満仲は言った。

「それだけで除目に預かれるかは分からぬが…」

「その点は、源氏長者殿も押して下さる」

「なんと?」

源氏長者とは、嵯峨源氏や清和源氏などの、全ての源氏を束ねる氏長者である。この時の源氏長者は源高明。

(そのようなお人から推薦してもらえるとは…)疑問に思ったが、源氏長者と淳和源氏は浅からぬ縁がある。

源氏長者は淳和・奨学院別当を兼ねている。

淳和院別当とは淳和天皇の後院の淳和院や、嵯峨天皇の皇后橘嘉智子が建立した檀林寺、恒貞親王が出家して開基した大覚寺などを管理するが、この淳和院別当に付属する荘園の多くは、名義上満仲の淳和源氏のものなのである。

「そのため、嵯峨源氏のうからとは少なからず付き合いがおじゃる」

と、満仲は言った。

もっとも、当代の源氏長者の源高明は醍醐源氏である。満仲は淳和院別当とのつながりから、高明と多少の縁があったのだろう。

(しかし嵯峨源氏ももはや源氏長者に就いていないというのに)

源氏長者と嵯峨源氏のつながりには、ある因縁がある。

それは、橘嘉智子の罪滅ぼしなのである。

そもそも、嵯峨源氏とは嵯峨天皇の子息で、嘉智子の子でない者達である。嵯峨天皇には50人もの子供がいたのだが、要するに嘉智子によって皇位継承権を失った者達である。

それに承和の変で皇統から外れた淳和系の者達と、嘉智子の私領を合わせることで、彼ら皇統から外れた者達を、少しでも潤そうというのが淳和院別当である。

それも、源氏長者は嵯峨源氏のものではなくなった。

ちなみに源氏長者は存在しても、平氏長者は存在しない。この点では、『源氏と日本国王』という優れた論考がある。

(まろは清和源氏の中では恵まれたのかもしれん)経基は思った。

恵まれたどころではない。

経基は、父の貞純親王の死後に生まれた子である。

そのため伯父の陽成天皇が猶子にして後見したが、その陽成天皇も人を殴り殺して実質廃位になった。

本来閑職を得て世を終えるはずだった経基は、幸運にも受領となり、赴任したところで将門の乱に遭遇し、負けはしたが武人として扱われて、中級公家として半生を送ることができた。

(まろの後に、子孫はどれだけの官職を得られるというのじゃろう)

文徳、清和、陽成と三代続いた皇統も、仁明天皇の皇子光孝天皇から宇多、醍醐、村上と四代続き、清和源氏もすっかり皇統から外れてしまった。

「おことを除目に推薦するよう運動しよう」

経基が言うと、満仲は顔をくしゃくしゃにして笑った。

(なんと子供のような笑みを浮かべるもんじゃ)

経基は思った。


経基が帰ると、

「兄者、まろは養子になど行きとうはない」

と、満頼は零した。

満頼は、他の兄弟とは父親が違うのである。

父親が誰かなどはわからない。満頼の母が夜這いをかけられて満頼が生まれた。満仲とは母親も違うから、満仲と光頼は兄弟でさえない。

「なんの、おことが養子に行ったとて兄弟の縁が切れる訳ではないぞ」

満仲はそう言って、満頼を宥めた。

この頃、虫麻呂とか今毛人とかいう古代人の名前から、現代の我々の名前に近い名前に変化してきている。

その場合、兄弟で同じ字を用いる。例えば藤原道長の兄は道隆、道兼、道綱と「道」の字がつく。これを通字という。

通い婚で婚姻する時代は、父親が誰かわからないことが多かった。また子供は母親の家で育てられるため、異母兄弟は兄弟としての意識が低かった。

そういう家族形態で、父親とのつながりより兄弟の縁が重視されたため、兄弟同士で通字が使われたのだろう。通い婚から嫁入り婚に転換して、父子の絆が確かなものになると、親子の間で通字が使われるようになる。満仲の源氏は後々、「頼」と「義」が通字になる。

満仲は多田庄を出て、摂津国に向かった。

行き先は摂津国西成郡、今の大阪市にあたる。

「婿殿、孫の顔を見せよ」

ある屋敷に入り、満仲はその主人に言った。

しばらくして、子供が満仲の前に現れた。

「おお万寿丸、近う寄れ、お菓子を持ってきたぞ」

その子供万寿丸は、満仲の嫡子文殊丸よりふたつみっつ年下である。

満仲には、文殊丸の他に、上に二人娘がいる

万寿丸の父親は、源宛という嵯峨源氏の一員だった。

この時代の中級公家らしく、受領として諸国の任に就いたが、坂東に赴いた時、平良文と互角に渡り合ったという豪の者である。

この源宛が、満仲の娘の婿だった。

ところが万寿丸が生まれるとほぼ同時に、源宛が死んでしまった。

満仲のもう一人の娘の婿が仁明源氏の源敦で、相婿の関係から、源敦は万寿丸を養子にした。

文殊丸は、元服して頼光と名乗る。

伝統的に、嵯峨源氏と仁明源氏は諱を一字にする。これは一字姓と一字名で、中国風の名前にする狙いがあったらしい。

万寿丸は成人して綱と名乗った。頼光四天王の一人、渡辺綱である。

「おことの父上はの、勇敢で強いお人だったのじゃ」

万寿丸の頭を撫でながら、満仲は言った。

万寿丸は、顔を曇らせた。この時代、貴族が武勇を尊ばないため、武勇を讃えられても人は喜ばない。

「そのような顔をするでない。いくさをする気力のない公家のようになってはいかん。おことは強く勇敢なさむらいになるのじゃ。よいな?婿殿」

満仲は、婿の源敦に言った。「開墾に人は足りておるか?足りておらぬなら人をやるぞ。ここは古来より難波の津と呼ばれたところじゃ。瀬戸内からの船の荷をここで荷揚げして、淀川で荷を都に運べば、ここに大きな町ができる」

満仲は言ったが、満仲の言う通りにはならなかった。

理由は、頼光の弟の頼信の系統が河内源氏となり関東に勢力を張り、頼光の摂津源氏が河内源氏ほどには振るわなかったこと、大阪を抑えた渡辺党が源氏の郎党であったため、主君の摂津源氏が大阪の開発に身を入れなかったこと、西国は平氏が開発したため、渡辺党が商業の面で振るわなかったことなどである。

しかし着眼点はいい。前近代において、大阪ほど首都にふさわしい土地はない。平家は大阪を手に入れられなかったために福原(神戸市)を都にしようとし、蓮如はこの地に石山本願寺を築き、豊臣秀吉は石山本願寺の地に大坂城を築き、この地に土着していた渡辺党を追い出した。

それにしても、日本は大阪を首都にした政権が長続きしない。これはあるいは不幸なことかもしれない。

「して、前の将軍(経基)はいかに?」

と、源敦は聞いた。

「チッ!あやつめ、おのれの値打ちというものがわかっておらぬわ」

と、満仲は舌打ちして言った。

「負けたといっても将門と戦ったのは、源氏ではあやつだけじゃ。それに小功とはいえ、純友とも戦って手柄を挙げておる」

要するに、満仲は経基を、武装した源氏集団の要にしようとしているのである。

しかも経基は、父の貞純親王に生まれる前に先立たれ、宮中に縁故が薄い。清和源氏経基流の乗っ取りは容易と見た。

満仲は源氏武士団という、当時最大の武装集団の基礎と作ったことは間違いない。

しかし大坂を日本の中心にして、この地を拠点にすることと、経基を伝説的武人に仕立て上げることには失敗している。その代わり大功を挙げたことがない満仲が伝説的武人になった。


満仲は京に向かった。

京で、まず源俊の屋敷に入った。妻に会うためである。

満仲の妻は怜子という。もう40の半ばになる。

「お互いこの齢になって、何も他の男を入れることはないではないか」

満仲は言った。妻には他の男ができていたのである。

先に述べたように、満仲には三人の子供がいるが、真ん中の娘は満仲の子ではない。妻と他の男との間にできた子である。

この時代、そういうことはよくあることで、例えば赤染衛門にも父親候補が二人いて、どちらが父親か裁判を行っている。

しかしそんなことは稀で、大抵は自分の子供でなくても、男は鷹揚に受け止めた。

この時代、出世するには親から受け継いだものだけでは足りない。

身分の高い、裕福な家の女性の下に通わなければ、猟官運動をして良い役職に就くことはできなかった。だから男は女を取られても、悔しくても女の下に通い続ける。

「まろも官職を得ようと努力しておるのじゃ」

満仲は言った。満仲は無官だが、無位ではない。

若い頃、猟官運動が嫌で、無頼の者と交わり、ヤクザの頭目のようなことをやっていた。

無頼の者といっても、その多くは近隣の開墾領主である。

満仲はその者達に、源氏の姓を与えて、若干の荘園を得た。

そして強盗、野盗を捕まえて、その手柄により官位を得ようとした。

それは多少の成功を伴って、七位の官職を得たが、それ以上には登れなかった。

それで官をやめた。

「必ず除目に預かってくるから、な?」

満仲はなだめた。

伶子はそっぽを向いて、返事をしない。

もう、満仲のことは諦めているのである。

(怜子が何と思おうと、今のまろには怜子が必要なのじゃ)

満仲は思った。

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