ラジャ・マハラジャの冒険⑬
(鹿か、そういえば足柄峠でも鹿に出会ったな)
倭健命は、鹿を見て思った。鹿は何の邪気もなさそうにこちらを見つめている。
(あの時は鹿の目ににんにくを当ててやったら、鹿は死んだな。このようにーー)
倭健命は鹿の目を狙って、にんにくを投げつけた。
しかし鹿は、投げつけられたにんにくを鼻で跳ね返した。
「なっ!」倭健命は驚いた。
「バカめ!そんなにんにくなんぞで獣を殺せるものか!」
そう言って鹿は笑い、倭健命に向かって突進してきた。
「わ!」
倭健命は慌てて鹿を避けて逃げ出した。
しばらく走って、鹿が追いかけてこないのを確かめ、走るのをやめて歩いた。
(ーーえ?)
倭健命は、前方に一本の松の木がある。
松の木には、剣が立てかけられていた。
(ーーこの剣は私の剣だ。私はまっすぐに走っていたと思ったが、どの方向に走ったか、方角もわからなくなっていたのか?しかも自分の佩刀も置き忘れてーー)
倭健命は剣を腰に帯びて歩き出した。
(私はこれほどまでに自分を見失っていたのか?これでは私が東方十二国を平定したことも、本当かどうかわからなくなってくる。全ては夢のようだーー)
倭健命は山の中に入った。
山の中で猪の姿を見た。
(ーーそうだ。私は猪を見て、『あの猪は神の使いだろうから見逃してやろう』と言ったところ、猪が神だったから、私は殺された。間違いない。あの猪は、あの時私を殺した神だ)
倭健命は、猪を見続けた。
(ーーどうする?私は遠征の途中、走水で妻を失いながらも、東方十二国を言向け和平(やわ)した。全て我が武名のためである。この私があの猪を神だと、私より強いと認めるのかーー)
「あの猪は神の使いだろうから、見逃してやろう」
倭健命は中指を立てて言った。
猪はこちらを向き、その姿はみるみる大きくなった。巨大化により、周りの木が猪の体に押されて倒れていく。
猪は雹を降らせた。倭健命の体がたちまち冷たくなっていく。
(ーー寒い、体が凍りつきそうだ)
猪は次いで、口から霧を吐き出した。
(ーー毒の霧だ。この霧を吸えば死ぬ)
倭健命は手で口と鼻を覆った。
(ーー体が冷えて動けない。動くだけで体が痛む。やはりこの猪は私より強い。相手にすべきではなかった。私は死ぬーー)
「ーーフン」と、猪は笑った。
(ーーそうだ、私は死ぬのだ。ならばもう自分は生きていないと思うべきだろう)
倭健命は息を止め、猪に向かっていった。そして剣を右から左に振り、一抱えもある猪の右前足を斬った。
猪はどうっと音を立てて倒れた。
しばらくして猪は起き上がり、
「ーーフン」と笑って、3本の足を動かして去っていった。
「ーーなるほど、そういうことか」
倭健命は血を拭い、剣を収めた。
ラジャ達が進んで行くと、霧が晴れ、光が差してきた。
(ーーここが神代か。なんか空気が清浄な気がするな)成海は思った。
やがて、海が見えてきた。
「ーー宮津や」成海が言った。
天橋立が見える。
籠神社の辺りには、今の神社よりずっと簡素な、出雲大社のような、大社造の建物があった。
「ーー籠神社は、昔はこんな建物だったんや」
成海が言った。
「あの建物に行ってみようか」ラジャが言った。
建物の門で番人に取り次ぎを頼むと、
「王はお会いになる」
と、番人は言った。
一同、番人の後をついていく。
「王?」成海が言った。しかし答える者がいない。
「あれ?えーーヒルコ?」
ヒルコがいなかった。「どこ行ったんやあいつ?」
「探すのは後にしよう」ラジャが言った。
部屋へと案内されると、すぐに男が出てきた。
「旅の者、よう来た。吾は日子大毘毘、この地を支配する者だ」
男は憂鬱そうな顔をして言った。
「ーーん?」
成海は胸にちりっとくるものを感じた。
(ーー何やろう?)
日子大毘毘はしばらく、一行の旅の話を楽しそうに聞いていたが、
「実は吾には悩みがあるのだ」
と言った。「吾は父王の跡を継いでこの地の王となったが、その時に父の妻を我が妻にしてしまったのだ。それ以来、吾は常に罪の意識に苛まれておる」
そう言って、日子大毘毘は額を抑えた。
「父を裏切ったことを思うと夜も眠れん。だが罪の意識に苛まれるほど、妻を側に置きたくてたまらなくなるのだーーシコメ!」
と日子大毘毘が呼ぶと、一人の女が現れた。
年増で反っ歯で、お世辞にも美人とは言えない。
(ーーん?)
成海は、胸にちりっとくるものを感じた。
(またや、何やろう)
「おお、来たかシコメ、さあここへ」
日子大毘毘はそう言って、側を指差した。
「我が妻の伊迦賀色許売(いかがしこめ)じゃ」と、日子大毘毘は言った。
「シコメ、そなたは我が母に等しい。その母を我が妻にしてからは心の休まる日もない」
「吾の如き者を妻にして頂くなど、もったいないことでございます」伊迦賀色許売が言った。
「しかし吾にはそなたが必要じゃ。この心がどれほど苦しみの炎に焼かれようと、そなたと少しでも長くいたい」
「もったいないお言葉でございます」伊迦賀色許売が言った。
「ああ、そなたといつか心安らかに暮らせる時が来るのだろうか」
伊迦賀色許売が席を立った。
「待て!シコメ!どこへ行く!」
「恐れながら、はばかりに」
「ならぬ!儂はそなたがおらぬと気持ちが落ち着かぬのじゃ!」日子大毘毘は伊迦賀色許売の腰に抱きついた。
「承知しました。承知しましたからはばかりには行かせてくださりませ」
「ならぬ!ああシコメ、わかってくれ、そなたは我が心の安らぎなのだ。我が想いが通じぬのかシコメー!」
「あの」
成海が引きつった笑顔を浮かべて言った。「私達疲れていますので、この辺で休みたいと思います。ですから後は二人でごゆっくりーー」
「うむそうか。下がってよいぞ。気づかなくて済まなんだ」日子大毘毘は気にもしていない様子で言った。
その日は屋敷の一室で寝て、翌日、日子大毘毘にあいさつをして、早々に屋敷を出た。
「ーー何だったんや、あの日子大毘毘とかいうおっさんーー」成海は呟いた。
「おーい」
と声がしたのでその方を向くと、ヒルコがいた。
「ヒルコ!あんたどこおったんや」
「あんさんらひどいで、わいがおらんのに探しもせんで」
「あーーごめんごめん、屋敷に入ってから気づいたんや。でどこおったんや?」
「崖から落ちとったんや」
「崖?崖なんかあったか?」
「あったで。あんさんら気づかへんのやからな」
「ごめんごめん」
ヒルコが戻ってしばらく歩くと、そこら中から人が群がってきた。
「ーー我らは五月蝿如(さばえな)す悪しき神々なり」と、その者たちは口々に言った。
「サバエナス?」成海が尋ねた。
「五月の蝿と書くんや」とヒルコ。
「五月蝿いか」
漢字もろくに知らないくせに、成海はこんな言葉を知っている。
成海はツカツカと前に出て、手を腰に当て、
「あんなあ!何のナスか知らんけど、サバエナスとか悪しきとか、そうやって自分を下げることないねんで!」
と大声で言うと、成海の体がみるみる大きくなった。
神々はたじたじになり、数歩下がった。
「わっはっは!これはいい、敵が娘に気圧されておるわい!」
将門が大笑した。「これは天之尾羽張の切れ味を試す良い機会じゃ。ラジャ!今のうちに活路を開くぞ!
ラジャと将門が、左右に分かれて敵に向かっていった。足往も後ろの敵に向かっていった。
将門は、天之尾羽張で敵を次々となぎ倒していく。しかし、
(ラジャが押されている)
成海は思った。ラジャは阿修羅になって応戦しているが、いかんせん右腕の怪我のせいか、右3本の腕の力が弱い。
敵の数はどんどん増えていく。敵もラジャの方が弱いと見て、ラジャの方を集中して攻撃していく。
最初は気が張っていた成海だが、敵の数が増えてくると心細くなってきた。
(あ、あかんーー)
しゅーっと成海の体が小さくなり、元の大きさに戻った。
「ーー今だ!」
と敵の方から声が上がり、どっと攻め立ててきた。
ラジャも将門も敵に押し込まれていく。
「ーー成海ちゃん!」ラジャが叫んだ。
「足往!娘を守れ!」将門が言った。
(ーーそうだな、成海ちゃんには足往がついている。大丈夫だよな)ラジャがそう考えていると、
「ーーギャンッ!」という、足往の叫び声が聞こえた。
ラジャが見ると、足往が右脇腹を刺されて倒れている。
(ーーまずい!)
ラジャは成海に近づこうとしたが、右3本の腕に力が入らず、成海に近づけない。
「足往!」成海は足往の上に覆いかぶさった。
そこを神の一人が成海をすくい上げて、どこかに連れ去ろうとした。
(ーー成海!)
ラジャは阿修羅から元に戻り、布都御魂剣を抜いて、成海を連れ去ろうとする男に向かって駆け出した。
ラジャが布都御魂剣を振ると、たちまち敵の2、3人が吹っ飛んでいった。
ラジャは成海を連れ去ろうとする男に追いつき、剣を頭から振り下ろして、敵を真っ二つにした。
「ーーラジャ?」成海が言った。
「娘!ヒルコ!足往の手当をしろ!」将門が叫んだ。
「足往!立って!」
成海が言うと、足往はよろよろと立ち上がった。
成海は足往の傷口に布を押し当て、ヒルコが蔓草を取ってきて足往の体に巻いて、布を固定した。
「娘、ヒルコ!足往に乗れ!」
将門に言われて、成海とヒルコ、ゼンキ、ゴキは足往の背中に乗った。
「ラジャ!血路を開くぞ!道が開けたら足往を走らせろ!」
「足往、走れるか?頑張ってな」成海は足往の首筋を撫でた。
ラジャと将門が、前方の敵をなぎ倒していく。
「今や!」
成海の掛け声で、足往が走り出した。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?