米だらけの娘を見守る理由
こんにちは!さかもとです。
最近の、わが子のご飯どきの様子です。
ぐちゃぐちゃ!べたべた!笑
手づかみ食べ真っ盛りの娘の食事は、後片付けが大変で仕方ありません。笑
洋服にべちゃっとついた米を、一粒一粒取り、ご飯の散乱した床を拭き…と思ったら、
今度は米だらけの両手で私のニットを掴み、泣きながらおっぱいをせがんできます…!
内心は「ひいい〜!勘弁してくれ〜!💦」と思いながらも、
この荒れ果てた食事風景を、時間の許す日はなるべく見守ることにしています。
◆見守ることにしている訳
こんな風な光景が日常になったのも、実はつい最近のことです。
今までは、ご飯を食べたい時にお茶碗を指し、スプーンでご飯が運ばれてくるのを待っているだけでした。
でも保育園の先生の勧めもあって、手づかみ食べをさせてあげるようにしていたからか、
自分で食べることの喜びを最近覚えたみたいで、
自分で「あ〜む!」と言いながら野菜やご飯を嬉しそうにつまんで食べることが増えました。
昨日は、私がスプーンであげると嫌がって食べないので食事をあきらめようとすると、自分の手で掴むと貪るようにご飯を食べ始めて!
自分で食べたい!という気持ちが、芽生えている証拠なのかもしれないなと思います。
そして何より感心してしまったのは、
私がスプーンであげる時よりも、自分で食べる時の方が食事にすごく集中していることです。
今日は、手についた海苔をすごくまじまじと見ながら、そして手についた米を一つ一つ口に入れながら、脇目も振らずにかれこれ20分くらいじーっと集中してご飯を食べていました。
日々のご飯をこんなに集中して食べられるなんて。大人顔負けです…!
そんなこんなで、私があげるときよりも、
自分で食べるときのほうが娘が嬉しそうにかつ集中しているので、そっと見守ってあげたくなってしまうのでした。
◆おわりに
日々子育てをしていると、子どもに感心させられることが本当に多くて。
日々が一瞬で過ぎ去るように感じる毎日ですが、
だからこそ、日々の子育てで感じたことをさらっと忘れずに大切に残しておきたいと思う気持ちから私はnoteを続けられているのかもしれません。
(過去あまり日記やSNS続いたことない私なので、ここまで続けていることに自分でもびっくりです。笑 もちろん、みなさんから頂くスキも励みになっています。いつもありがとうございます!)
では、娘の食事風景からの個人的な学びをまとめて今日の記事はおわりにしようと思います。
★学び
→人は本来どんなに小さなことでも、自分で出来ることに純粋な喜びを感じるのかもしれない。私も一個一個、出来たことに目を向けでシンプルに喜ぼう!
→人は受け身ではなくて、自分でやるからこそそのもの自体に面白みを感じるし集中モードに入る。わが子の主体性を尊重して、これからも子育てをしよう!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
それでは、また!
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