終わっていく

 子供の頃のことだ。
 母親と二人で会話していると、よく父親の愚痴を聞かされることが多かった。そんな時に、ふと「どうしてお母さんは、お父さんと結婚したの?」と尋ねてみたことがある。
 それに対する母の返答は、「見合いで周囲から強く薦められてね、本当は断るつもりだったんだけど、断り切れなくて……」と、苦笑いしながら語尾を濁していた。
 自分の人生の大半を決めるような決断を、周囲からの圧に耐えきれない形で、押し切られてしまう。そんなことがあるのか、と当時は思っていた。だが、父母くらいの年代の人達は、きっとみんなそんな感じだったんだろうと今では思う。

 そのまま僕は成長し、大人になって、主に仕事関係で様々な挫折を経験し、生きるのがひどく辛いと感じる状態に陥ってしまったことがあった。そんな僕の様子を見かねた母親が、僕にかけた言葉は、「うまくいかないね。でも、そんなもんなんだよ。みんな、そうやって、歳を取って、終わっていくんだよ」だった。

 終わっていく。その言葉の重みを、まだ若かった当時の僕はそれほどシビアに捉えていなかった。いつかここから巻き返してやる。そのことばかり考えながら、日々を生き抜いていた。

 そこからさらに時を経て、母親も亡くなった今となっては、当時とはずいぶん「終わっていく」ことに対する悲壮感が変わってきたなと感じている。
 本当に、終わっていくんだな、と思う。結局、何も成し遂げることなんてできなかったな。このぶんだともう自分は何も世の中に残せるものなんてないし、そうやって一生を終えていくんだろう。でも、この世界に生きている大部分の人が、そんなものなのかもしれない。
 母がかつて言っていた通りだ。
 このままおとなしく諦めて、黙って受け入れていくしかないことなのかもしれない。

 でも、と思う。
 まだ心のどこかで、自分は何かできるんじゃないかと思い込んでいるようなところがある。そして、生きるっていうのは、たぶん、そういうことなんじゃないかという気すらしている。
 どうせ終わる。でも、それに抗うような形で、何かを成し遂げようとする姿こそが、人間の最も美しい部分なんじゃないか。そう思っている。

 そんなことを考えていた時に、ほぼ日手帳を開くと、こんな言葉に出会った。

50歳だと、体は年を取っているのに、気持ちは30代。
それが70歳になると合致して、
自分の年齢をそのまま受け入れていくようになる。

細野晴臣さんが『私と芸術、私の友情。』の中で

 あぁ、そうなのか、と思った。自分もそろそろ50代にさしかかろうとしているので、なんだか微妙な形で心にぶっ刺さった。
 なるほど、まだまだ自分の気持ちは30代なんだろうな。今はまだ、実年齢とのバランスがうまく取れていないということなのだ。そして、それが70歳になったところで、うまく一致して受け入れることができるようになっていくんだろう。

 だとすれば、70歳になるまでは、まだまだ抗っていても許されるんじゃないだろうか。
 終わっていく自分と、それに抗おうとする自分。その二つが、うまく交わるところまでは、まだまだ僕も抵抗を続けていきたい。

 最近は、そんなふうに自分のことを捉えている。

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