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『なぜ僕たちは総理大臣を変えられないのか』という問い【映画】『なぜ君は総理大臣になれないのか』

例えばあなたが少年漫画の編集者だったとしましょう。読者に人気が出る漫画を作るのが仕事です。
その漫画の主人公は人柄と熱意が取り柄のキャラで、さまざまな困難を経て強敵に立ち向かっていきます。
その結果主人公は負けてしまいます。立ち上がりますがまた負けます。何度も何度も負け続けます。

こんな漫画が人気出ると思いますか?少年ジャンプの三大原則は「努力・友情・勝利」ですが、ずっと勝利が無いわけですから、すぐに打ち切りになるでしょう。編集者失格ですね。

でもこの社会では、こんなクソみたいにつまんない漫画が延々と連載を続けているわけです。
そして僕たちは負け続けるストーリー展開を支持し、そういうもんだと思い込んで生活しています。

■ 絶望しかない社会

この映画は衆議院議員の小川淳也を数年間追った記録です。
考え方や熱意に惹かれ、誰もが彼のファンになるかと思います。妻や2人の娘と共に選挙を戦っているシーンは胸を打たれます。
彼を支持する人たちの言葉も熱く刺さります。

でも彼は勝てない。
そのつまらない現実が僕らを絶望させます。
どんなに理想が高く、熱意があり、人望があっても負け続ける。
逆に、地元の企業に近しい人や、顔が良いだけで言ってる事がとんちんかんな二世議員が簡単に勝つ。

そんなつまらない漫画が延々と連載を続けていて、もはや誰もそんな漫画には見向きもしないし興味もありません。
しかもつまらない事や改善すべきことを指摘すると「素人が漫画に口出すな」「長く連載が続いてるんだから素晴らしいに決まってる」と反論してくる人がいる始末です。

■ 民主主義を見直す

民主主義とは何か。
民主主義とは、多数決で勝った方が偉く、負けた方がすべてに従う、というものではありません。
多数決は絶対に間違えるので、常にチェックし続け、常に最適が何かということを話し合い続けることが大事です。
「多数決」は決定方法の一つの手段でしかなく、それが絶対ではありません。

小川淳也は言う。
「選挙の勝負はいつも51対49。勝った51が49を背負わなければならない。でも実際は51のためだけの政治になっている」

弱者を「自己責任」と切り捨て、「弱者は国が手助けすべきでは無い」と多くの人が答える異常な国日本。
今すぐこんな異常でつまらない国は連載を中止しなければなりません。

■ 総理大臣になれない理由

「なぜ小川淳也は総理大臣になれないと思うか」
もうお分かりでしょう。
それは僕たちがつまらない奴らだからです。
自民党だからという理由で自民党に入れるような。
雨だから投票に行かず自民党を勝たせるような。
弱者を切り捨て強者に尻尾を振るような。
顔が良いだけで思想も国を良くしたいという気概も無いような奴を勝たせるような。
政治は政治を学んだ人だけが発言すべきという考えを持つような。
そんなクソみたいなつまらない僕らがいっぱいいるからです。

小川淳也は敗戦の度に支援者に謝罪し、自身は政治家に向いてないのではないかと自問します。
この映画を見れば、小川淳也が間違っているのか、それともこの社会が間違っているかは一目瞭然でしょう。
(小川淳也が善であるかのような編集の仕方を意図的にしています)

■ 何から始めればいいのか

まず一番初めに僕らがすることは、自分の生活が幸福かどうかを見極めることです。
そしてもし不幸だと感じられたのであれば、その出所がどこなのかを探ることです。
過去の自民党政権はいろいろなものを破壊していて、そのせいで今の社会が大きく歪んだことがあるでしょう。

そして現政権も、長期延命のために犯罪を犯罪じゃなくするなどいろんなことをしています。

過去、現在、未来と多角的に見た場合、果たして今のこの選択が正しいかどうか。未来から振り返った時に自信を持って「あの時の選択は正しかった」と胸を張って言えるか。

つまりわかりやすく言うと「今現在、自分は善く生きているか」と問い掛けることから始まるのだと思います。

言うまでもありませんがドキュメント映画を見てどのような感想を持つかは人それぞれで、ここに書いたものが絶対ではありません。
ですがこの映画を見て必ず何かを感じるはずです。
それを大切にし、日々の思考にひとかけらでも良いので挟み込ませてみてください。
その振る舞いがクソ野郎からの脱却に必ず活きるはずです。

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