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コロナ観による人間関係の再構築

新型コロナウイルスの登場以降、みんな生き方や考え方を変えざるを得ない状況に追い込まれました。息苦しさや生きにくさを強めた方も多いでしょう。
本稿では、「コロナ観」を軸に、新型コロナウイルス以降の振る舞いについて考えてみたいと思います。当たり前ですがこれは僕個人の考え方であって、強要するわけではありませんし、違う考え方の人を非難するわけでもありません。

■ コロナ観とは

新型コロナウイルス以降、人と付き合う基準に「コロナ観」が加わりました。
新型コロナウイルスをどれだけ忌避するか、何を妥協するか、などをまとめて「コロナ観」とします。
例えば、絶対に人と接触してはならない、密閉・密集・密着絶対禁止!という重い方。逆に手洗い消毒を徹底していればほぼ感染しないんだから普段の生活をする、という軽い方など、段階がグラデーションでさらにどの項目を大事にするかなどもバラバラになっているのが、みなさんが持っている「コロナ観」だと思います。

■ コロナ観の度合いによる新たな人間関係

「コロナ観」が違うと人間関係を継続するのは難しいでしょう。コロナ離婚が話題になりましたが、新たな価値観の登場により違和感が顕在化したことも要因のひとつだと思われます。
「コロナ観」が重い人は孤立傾向が強く、軽い人は人間関係の結び付きが増えるような印象があります。そして「コロナ観」が軽い人の方がより人間らしい生を過ごせると思います。
新型コロナウイルス以降、人は大切にしてきたことを奪われてきました。例えば、離れて暮らす家族に会えないとか、大切な人の死に目に会えないとか、お祝いの席に集まれないなどです。
さらに、非日常を奪われました。エンターテインメントは開催を中止し、宴会なども自粛を要請されました。
つまり人と人とが会うことで生じる感応が奪われたということです。
もちろん政府や自治体は国民の命を守るために決断し行動をしています。ですが政府に管理され感情を奪われ生活するというのは家畜と大差ないように思います。

■ コロナ以降の振る舞い方

まず大前提として、新型コロナが消滅することはありえないと思います。旧型コロナウイルス(いわゆる風邪)が消滅してないのですから、新型も同様かと思います。問題は、かつての風邪の時のように新型コロナを生活に溶け込ませることができるか、ということです。
「軽い風邪でも休まず働く」「風邪やインフルエンザが流行してても気にせずマスクをしない」「うがい手洗いを徹底してない」これらはほんの1年前まで我々が行っていたことです。
おそらくこのような感覚にはもう戻らないと思います。ですが似たような「コロナ観」の方は少なくないと感じています。
「マスクなんてウイルスの侵入を防げないし、目の前で唾を飛ばされてるわけでも無いんだからマスクは無意味。それよりも何か触った手で粘膜に触れることの方が危険なんだからそこを徹底的に防ぐべき」と考える人もいるでしょう。
最初でも挙げましたが、「コロナ観」が似た者同士でゆるい共同体を作るしかないと感じています。繰り返しになりますが、「コロナ観」が重い人は人と接触できないので孤立しやすく、軽い人は「人と会う」という感応を大切にする傾向が強いので新たな人間関係を構築しやすいです。
「コロナ観」が重い人は、正義を行使することで自らをも追い詰めています。感染を広めないために誰とも会わないし、人に会いに行く奴らも認めない、というのは確かに正しい考え方かも知れません。ですが「感染率」「感染経路」「感染条件」「発症率」「回復率」などなど様々な項目を精査して初めてどのような振る舞いが正しいかというのがわかると思います。
馬鹿の一つ覚えのように日々感染者数と累計数を報道していますが、あの数字だけを日々報道するのは百害あって一理無しだと感じます。最低でも発症者数やその日の回復者数、累計回復者数も合わせて発表すべきです。
報道というよりもエンターテインメントなので衝撃的な発表をすることの方が大事なのでしょう。そこに良き生を左右されてはいけないと感じます。

■ 新たなる脅威に備える

アジア圏は特に新型コロナウイルスの被害が少ないとされています。俗に言うファクターXです。つまり今はまだ新型コロナ程度で済んでいるという考え方もできるのです。
今後さらにグローバル化が加速すれば、未開の地に存在するウイルスと人が出会うかも知れませんし、何万年も前の氷の中から未知のウイルスが出現するかもしれません。
新たなる脅威が襲ってくる可能性は大いにあるのです。なので今を準備期間と捉えることが大事だと思います。この程度で済んでいるうちにいろいろ整えるわけです。活動自粛などしていると、もっとやばいウイルスが来た時に一気に社会は壊滅してしまうと思います。
憲法の見直しから法の整備、自治体との連携、都市封鎖や社会保障の確保など、国レベルで準備することは山積みです(つまり国民が政府をしっかり操縦しなければならないということです)。
我々市民も、テクノロジーの恩恵をしっかりと受け、間違っても「自粛警察」や「ネット叩き」のようなくだらない事に注力しないことです。テクノロジーが人を救います。間違っても人を殺す道具にしてはいけないのです。

■ まとめ

みなさんの「コロナ観」はどのようなものでしょうか。
「良く生きる」「正しく生きる」とはどのようなものを指しますか?
新型コロナウイルスの登場をきっかけにさらに日本を悪い方向に進ませるか。それとも転機として良い方向に進ませるか。とても大事な局面にいると感じます。
まずは「コロナ観」を自覚し、大切な人たちや新たに出会った人たちの「コロナ観」を把握し、より生きやすい人生にしていただければと思います。
そして日本が沈み切ってしまう前に浮上のきっかけとしてテクノロジーの見直しや未来予測が行われれば良いと思います。

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