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『我々の父親』の問題はどうやって解決できるのか

おぞましい。

不妊治療を担当した医師が自身の精子をドナーからのものだと偽って使用。
遺伝的父親が同じ「きょうだい」がDNA検査により次から次へと見つかっていく...

医師の倫理観が常識から大きく外れていたとしたら、僕らは気付かぬ内にその医師に利用されていることになる。
本作では展開が進むにつれ「きょうだい」のカウントが増えていく構成になっているのだが、20人を越えた辺りからもう精神を蝕まれた感覚に陥り、ラストの字幕に書かれた数字を見て卒倒しそうになった。
しかも同じように自身の精子を無許可で不妊治療中の女性に受精させた医者が44人も見つかったなんて。
おぞましさを通り越して無感情になる。

本作は倫理観、哲学、宗教、法という様々な観点から事件を捉え直している。
中には「不妊が解消されたのだから良いだろう」という考えを持つ人もいるようだが、こう言う人とは根本的に僕とは考え方が合わない。
「きょうだい」達はDNA検査の結果を受けほとんどが自己の存在について苦悩している。
また「なぜこんなことを?」という理由については宗教的観点から推測がなされており、宗教のおぞましさも描いていてドキュメンタリー映画として秀逸だと感じた。
そして「法」。
このようなおぞましい行為に対する法が存在しないことで、「きょうだい」達や親達は法的決着も出来ない状態に置かれている。

つまり何も解決していない。
DNA検査をしていない「きょうだい」達もまだまだ増えていくだろうし、別の医師達44人も何度不妊治療を繰り返したか不明のままだ。

おぞましさだけが拭えないままドロドログジュグジュと皮膚に張り付いたように感じる。
今一度「倫理観、哲学、宗教、法」について見つめ直してみたい。

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