見出し画像

「自分のための・・・」と断言したくない

「自分のための人生」と言い切る人間がいる。今やっている事は、全て自分のためにやっていると。

例えば「子供を育てる」というものも、そういう人から言わせると、自分が年老いてから面倒をみてもらいたいというがための「育てる」であるらしい。

また自分が世話役上役(ビジネス以外の分野)としていろいろやっている事も、自分のためであるようだ。それはそうした事をやっての自分の「生きがい」これを感じる事が、自分のためとしてやっている事の1番の意味らしい。

ただ、、、私はそう断言したくないのです。子供を育てるというのは、当たり前だけど自分の子供が可愛いし、母性愛があって、そしてこの子の将来が幸せになってほしいと願うから。

世話役だって、対している人がスムーズに事が運ぶように、楽しくできるようやってあげるのは普通の事。まあもちろん、その世話している人自身の「生きがい」という感情は、当然もってても普通だけれど、ただそれの比重がかなりをしめるというのは、やっているうえでおかしいのではないかということです。

私は全ての行動を「自分のため」と言っている人間は、心の底が相当冷酷(これはもっと別な表現もあるはず)かつ、確信の部分を本当はどう考えているか分からないような人だと思う。私はそうなりたくない。

自分は格好をつけているわけではなく、その対している人にやってあげている事は、その対する人の幸せを考えてやってあげている事がほとんどです。

ありがとうございます!