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モラハラマザコン野郎と半年過ごしたエッセイ

 2022年某日、幸せになるために結婚しました。しかしまともだと信じていた相手はモラハラのマザコン野郎でした。その家族も共感性のない奴ら揃いでした。一刻も早く忘れるために半年間のエピソードを書き出していきます。

 結婚を機に実家からマザコン野郎の家へ引っ越したが、マザコン野郎は月に3万円しか生活費をよこさなかった。
 食費は主にマザコン野郎が出すつもりのようだが、結婚式の支払いだの引っ越し代だの保険料だの支払わなければならない金は山ほどあったので、もちろん足りない。
 私は一ヶ月かけて就職活動をし、徒歩10分圏内の食堂パートに受かった。週3〜4日で5時間、休憩時間は無いが仕事終わりに食堂のメニューを食べても良い。いま振り返っても、わりと高待遇のパートである。
 仕事を始めたとたんマザコン野郎が「もういいでしょ」とばかりに生活費を一切支払わなくなったことに腹を立てながら労働に従事していた。
 割り振られた仕事は始業前のホール清掃とレジ打ちと皿洗い。パートタイム終了間際に店の周辺とトイレの清掃もノルマだった。
 初めてやるレジ打ちに四苦八苦しながらも慣れてきた頃、ある事件が起きた。レジに溜まる『ご飯一杯無料』クーポンをよく確認すると、一枚だけ一年前の日付のものが含まれていたのだ。
 もちろん、事前によく確認すべきではあったが、多忙な昼食どきに紙面の細かな期限まで見るのは難易度が高い。
 名作ゲーム『ペーパーズプリーズ』のことを思い出しながら、今後はこういうミスがないよう気をつけますと店長に謝って帰宅した。
 そして、夕食どきマザコン野郎に事件のことを言うと、奴はしれっと
「ああ、うちの母もたまにワンチャン狙って出すと言っていたよ」
 と笑った。
 私はドン引きした。
 期限が切れていると知りながら、ヒューマンエラーを狙ってクーポンを出す。その下品さに驚いた。身内(姑)にそんな奴がいるとは思いもよらなかった。
 100円程度の誤差であっても、店に迷惑をかけるという点で、軽率な下ネタよりも発言を控えたいタイプの下品ではなかろうか。それを堂々とお笑いネタとして話す神経もどうかしている。
 関わりたくないのに残念ながら身内である。勘弁してほしかった。

 姑は新婚の息子(マザコン野郎)の家に毎週土曜日、必ず顔を出したがった。結婚前からの習慣で、自宅で介護している親の世話に疲れて避難しに来ているのだと主張していた。
 マザコン野郎は仕事で不在である。合鍵を使って勝手に入り、リビングで自由きままに茶をしばいていたそうだ。そして、そんなことを知らない私が嫁いできた。
 姑は私に合鍵を渡し、何の疑問もためらいも持たず、引き続き毎週訪れた。私に話し相手になってもらおうとしたのだ。
 引っ越してからの私はめちゃくちゃに忙しかったのでバチクソに迷惑だった。
 マザコン野郎は長年一人暮らしをしていながら洗濯カゴやドライヤーといった生活必需品を買っていなかったし、冷蔵庫の中は正真正銘の空っぽだった。
 毎日のように買い物に行かなければ不便すぎて生活が成り立たない中、姑の相手まで強いられるのはストレス負荷実験でしかない。
 それでも当時は仕方なく出迎えて、どうでもいい話を何時間も聴いた。
 マザコン野郎のご家庭は「自分たちのことを知ってほしいからテレビは点けないで! テレビを点けながら番組内容について話すのは血の繋がった身内くらい!」という独自の価値観を持っていたため、姑の半生や姑の母の半生やマザコン野郎の兄弟についての身内トークをダラダラと話していた。
 私が就職活動など近況を話すターンも一応設けられてはいたが、姑は話半分にしか聞いておらず身内トークの展開にやたらと熱心であった。
 新婚ということもあり将来的な子供に関する話題を出した時、姑は
「自分が新婚の頃は結婚した翌月には妊娠していた」
 と自慢げに語った。
 おたくの息子のマザコン野郎は結婚後、行為どころかキスもハグも一つもしてきませんよと返しておいたら無言を通され、すぐに別の身内トークに切り替えられた。
 都合の悪いところは無視する。
 これがマザコン野郎一族の共通項であった。

 マザコン野郎は日曜日以外働いていた。一人暮らしの頃はコンビニ飯と外食ざんまいだったという。結婚後、ごく当たり前のように私が夕食を作ることになった。
 相手が忙しいのだから仕方がない、とある程度割り切って主婦業をこなした。だがマザコン野郎は新婚家庭で奇妙な行動ばかり起こした。
 まず、仕上がった夕食のおかずを毎回必ず嗅いだ。外食の際には一切やらなかったのに、自宅で急に犬のような行動に出られてギョッとした。
 見慣れない食べ慣れないものだったから、と言い訳をしていたが、こちらがやめろと言ってもありとあらゆる食べ物を嗅ぐ。
 こちらを信用していないようだったし、あまりの見苦しさに姑に愚痴った。姑に指摘されると、マザコン野郎はあっさりやらなくなった。
 次に、夕食と入浴を終えると自分の部屋に引きこもって就寝時間まで出てこなかった。
 マザコン野郎の自室にはリビングに設置しているものよりも数倍大きなテレビが備え付けてあり、ビデオレコーダーもそこにしかなかった。PCでゲームもしていた。そして、私が自室へ入ることを何よりも嫌った。
 一人暮らしの時の習慣を結婚後も何ら変えようとしなかったのである。これは先ほどの犬めいた行為よりよほど問題だったし、結局最後まで改善されなかった。
 マザコン野郎には自分の他にもう一人、人間が住んでいるという感覚がなかったのだろう。飯炊きと掃除と洗濯を代わりにやってくれる都合のいいものが住み着いた。その程度の感覚しかなかった。
 寝室は一つだったが、そこに同衾という雰囲気は少しもない。マザコン野郎は深夜にソロソロと寝に来るだけだった。
 同棲どころかルームシェア以下のつながりしかないこの状態が、俗に言う新婚とあまりにも結び付かず、隠れてよく泣いていた。

 姪が誕生日を迎えるにあたり、マザコン野郎は贈り物として色紙にイラストを描くと言った。色塗りに関してはシロウトなので、私にアドバイスして欲しいとも言ってきた。
 一作目、マザコン野郎はド派手な赤文字で「◯◯ちゃんおめでとう」と書いた。筆で描いたイラストの周りには何も色が塗られていない。ひときわ太く書いたせいで文字はほぼ潰れており識別自体が困難だった。
 マザコン野郎は文字がドンと目立つようにしたかったと訴えていたが、何と書いてあるか読めないものを贈るわけにはいかない。
 私はマザコン野郎が持っている画材を確認し、文字はピンク、イラストの周囲には黄緑を塗るよう提案した。マザコン野郎は頷いて、数日後に二作目を見せてきた。
「これを持っていってね」
 完成品として渡してきたのは『赤文字のまま』『筆でイラストの周囲にヨゴシを入れた』ものだった。
 私が一作目を見て直すよう言った部分をまるきり無視していたのだ。
 赤文字では潰れて読めない、幼い子供への贈り物なのだから柔らかい色を使えと「なぜ再提出を求めたのか」丁寧に説明した意味がまるでなく、心から怒った。
 マザコン野郎は「どうして君にそんなことを言われないといけないんだ?」という不機嫌なツラをしていたが、しぶしぶ私の意見を取り入れた三作目を作った。従わなければラチがあかないから仕方なく「やってあげた」と言わんばかりの態度だった。
 私はそれを姪の元へ持っていったが、マザコン野郎と会話が噛み合わない事実に直面した後だけに、祝いの席でもあまり晴れ晴れとした気持ちにはなれなかった。
 思うに、マザコン野郎が最初に言った「アドバイスして欲しい」という言葉は、本当に改善点を指摘して欲しかったのではない。
 あくまで建前にすぎず、実際には「自分の意見は絶対に正しいので肯定され褒められるべき」と考えていたのだろう。
 子供っぽい浅はかな思考だし、全肯定されるようなセンスでもなかった。

 女性に生まれると、ほぼほぼ毎月の生理(月経)に悩まされる。私の場合は毎度の出血量が多く、下腹部に激痛をともなう月経困難症に加え月経前症候群(PMS)も併発する。
 生理開始前に高確率で下痢をして頭痛が起き、生理が起これば大量出血でめまいを始めとする体調不良が起こるのだ。
 年齢を重ねるごとに症状は悪化しているが、病気と違って根本的な治療方法はない。婦人科に行き低用量ピルを試してみると、使用している期間は生理そのものが止まった。症状が起きないようにするには生理自体を止めるしかない。そんな状態だった。
 結婚を決めた時から私は将来的に子供が欲しかった。ピルを使っていると子供はできない。
 引っ越してから上記の症状に見舞われて寝込む私を、マザコン野郎はあまり気に留めていなかった。
 正確に言うと「大丈夫?」とだけ繰り返し尋ねてきた。夕食を代わりに作るだとか、そういった具体的な行動をするわけではなく、本当にただ声をかけるだけ。
 義務的な言い方にイライラした私は「大丈夫じゃないから寝込んでいる」「毎月のことだから対処は分かっている」と返した。
 マザコン野郎は何も言わずに去っていったが、後日、姑からネチネチと「気を使ったのにあんなことを言われて深く傷ついた」と伝えられた。
 こんなしょうもないことも直接言えないし、夫婦間の喧嘩も母親に垂れ流す男なのだと思うと失望した。この「やることなすこと姑に全部筒抜けの思考停止」が最悪の形で出てくるのは、そう遠くない日であった。

 マザコン野郎は自宅の一部を使って塾を開いていた。駐車場にゆとりがなく、親御さんが子供たちを送迎するにあたって自宅付近に車を停車しており、近隣住民から一度苦情を受けていた。
「それでね。近所の土地が売りに出されたから、買い取って駐車場にするの。しばらく工事でうるさくなるだろうけど、これで安心ね」
 ある日、姑はさらりと言ってのけた。
 姑が土地を買い、マザコン野郎が月々少しずつ代金を返済していくことにしたと。
 マザコン野郎と姑の間だけで話し合い、決定事項となってから、私に事後報告したのだ。
 駐車場はどのみち必要だったし、買わないという選択肢はなかったから、相談しなかった。する必要もないでしょう? そんな空気を感じた。
 姑とマザコン野郎の笑顔が不気味だった。
 彼らには、結婚して新しい家庭を作ったという自覚がまるでない。
 数年前、マザコン野郎が、かつて姑の一族が暮らした古い家を引き継いだ。そこに私が嫁入りしてきた。
 この家は初めから姑側の家と地続きで存在し、外から来た嫁は部外者なのだ。決定権も何も持ってはいない。そう強く主張された気分だった。
 後日、生理痛で伏せっているのを理由に姑に「今週は来ないでくれ」と連絡した時。マザコン野郎は自分が応対するわけでもないのに不機嫌だった。
 せっかく会いに来てくれるのに、気分転換がしたいと言っているのに、寝たままなんて失礼じゃないか。
 姑自身にそう愚痴っていたと後から聞いた。
 月に一週間も体調を崩しているなんて普通じゃない。パート帰りから夕食作りを始めるまで2時間ほど寝て休憩するのもおかしい。
 マザコン野郎は妻への不満を実母へ声高に言っていた。妻には無言を通して、ひたすら対話を避けていた。
 ほぼ全てを姑の口から伝えさせておきながら、必要最低限しか話さない歪な生活が続いた。
 神経が参った私はマザコン野郎との関係改善を願い、箇条書きでマザコン野郎の不満への返信をLINEに送った。
 ・私の生理痛はピルを飲まない限り根本的解決はしない。子供を望まれているから飲めない。
 ・パート帰りに休憩する人はいくらでもいる。寝室で休んで怒る方が理不尽。
 ・(家に帰ってすぐパジャマに着替えるなという意見に対し)塾に関わるわけでもないのに何故?
 ・疲れやすいとしたら、ブラック企業を経験して精神を病んだ経験があるから。今は治っている。
 そんな内容だった。

 数日後の日曜日、午後9時の就寝前。
 マザコン野郎はようやく私に直接言ってきた。
「貴方が遠い実家を行き来するのは疲れるだろうし、お互いに距離を置こう」
 最初、何を言われたのか理解できなかった。
 仕事始めの月曜日が間近に迫った最悪のタイミングで、一方的に離婚を切り出したのだと遅れて気付いた。
 重大な一言すら自分からは言い切らず、におわせて、こちら側に気を遣ったように見せかけて察してもらいたがる。
 責任を取る気がまるでないクソ野郎に絶望して、悔しくて、泣いた。

 タイトルでも宣言している通り、私がマザコン野郎の家で暮らしていたのは半年間だけだ。マザコン野郎の親戚一同と関わったのも、ほんの数回。結婚式や引っ越し後の挨拶回り程度の軽いものでしかない。
 だが、そのわずかな接点の中でも、彼らが『関わりたくないタイプの人間』だとは感じていた。
 結婚式では着慣れない和装をしていた者が裾を踏んでつまづいた時、心配するでもなく一斉に爆笑していた。
 法事では住職のお経が小声すぎて聴き取れないと陰でクスクス笑っていた。
 誰かの失敗や特徴を笑いの種にするのが、とにかく好きだった。教職に就いている者が多いせいか、学生のようなノリをいつまでも保有していた。
 そして最もタチが悪かったのは、小さな失敗を笑い話にするために事実に尾ひれ背びれをつけて盛る癖があったことだ。
 ある時、住職が寺で飼っている猫が擦り寄ってきて、マザコン野郎のズボンに毛を付着させた。
 住職の妻が「ごめんなさい、コロコロを持ってきましょうか」と尋ねると、マザコン野郎は「ではお願いします」と答えた。
 するとマザコン野郎のきょうだいはいきなり笑い転げた。お気になさらずと返せばいいものを、コロコロを持ってこさせようとしたのが面白かったと言うのだ。
「毛がついちゃったよ〜なんて、わざわざ言うことでもないのに!」
 甲高いわざとらしい言い方で、元ネタの存在しない声真似まで始めた。それがさらなる笑いを生んでいた。
 私は先ほどの短いやりとりに少しも面白さを見出せなかったし、無いセリフを捏造してまで滑稽な男に仕立てようとするきょうだいの発言にめちゃくちゃ引いた。
 なぜならそれは、いじめを作るメカニズムだからだ。集団で標的をからかい、大げさにはやしたて、目立たせて笑い物にしている。
 マザコン野郎の身内、特に親きょうだいはそんなつまらないイジりしか共通の話題がないようだった。
 真実はどうあれ、私の前ではとにかく身内ネタしか話そうとしなかった。過去の失敗談など、知っても得をしない個人情報を一方的に聞かされてばかりだった。思えば、あれも部外者扱いの一端だったのかもしれない。
 外から来た嫁に一族の思い出話を熱く語っても困らせるだけだと少しも考えず、当然共感して笑うものだと静かに強要する、あの空気。胸くそ悪い空間だった。
 余談だが、姑が突然死した夫に降りた保険金を「お父さん宝くじ」と呼称していた。
 性根の下品さが伺える真似のできないセンスだと思った。わざと明るく言ったのだとしても、故人をいたむ気持ちがそこには見えなかった。
「こう言っちゃ悪いけど、ボケ始めてきてたから……」
 マザコン野郎も実父を軽んじていた。
 その言葉の続きは口では言わなかったが、言わずとも最悪のフレーズが浮かぶ。
 死んでくれて金も落としてくれて、ラッキー。
 そんな、うわべだけ取り繕ったクソ野郎たちと私は『離婚の話し合い』をしなければならなかった。

 離婚話が持ち上がって、改めて話し合いの場を設ける際、マザコン野郎は私の母を同席させるように言ってきた。それは自分が実母(姑)を呼ぶためであった。
 夫婦間の問題は本来、夫婦だけで解決すべきだ。しかしマザコン野郎はまず間違いなく姑を招く。私側の味方がいない状況で一方的にやり込められないように、遠地から母に来てもらうしかない。
 そういうわけで一週間後、自宅に四人が揃った。私と私の母。マザコン野郎と姑。
 姑はいざ話し合いが始まりそうになると「録音してもいい?」と尋ねてきた。
 物的証拠を作って、どうするつもりなのか。どういう行動に出ようとしているのか。何にせよ相手にとって都合のいい使われ方しかしないと思い、断った。
 弁護士に間に入ってもらい私の非を法的に認めさせたかったのかもしれない。
 その日、行われた協議は協議ではなかった。
 マザコン野郎は自分の行動を一切かえりみることなく、ろくに喋らず、全てを姑まかせにして腕を組んで押し黙っていた。
 姑はマザコン野郎の代わりにマザコン野郎の言い分を延々とまくしたてた。
 病気だなんて知らなかった。あらかじめ知っていれば付き合いはしなかった。ずっとそれを黙っていたのは裏切りだ。子供にだって遺伝するだろう。
 私が精神疾患を抱えていることを過剰に問題視していた。正常な人間ではないとでも言いたげな語気だった。
 病めるときも健やかなるときも、という教会での誓いはマザコン野郎にとって形式的なものでしかなかった。
 ブラック企業に勤めたせいで適応障害になり、休職ののち自力で比較的軽度まで回復し、今現在パートとして休むことなく働いているという事実がまるきり見えていない。
 一度患った以上、完治しないまでも、正常な生活を送ろうと努力していることを認めない。
 姑がぽつりと漏らしたところによると、マザコン野郎の家のほうが代々気管支に問題を抱えた要注意家系であるのに、そちらは議題にしない。都合の悪い部分は無視する。
 マザコン野郎は私が自分の言うことをきかない、自我を持つ人間だと分かり厄介に思っていた。そこで、たまたま判明した元病人というレッテルを大喜びで貼り付け、家にふさわしくないと叫び、一日でも早く追い出そうとしていた。
「君はいつも僕の言葉を否定してばかりだし、一方的に話し続けるから、僕はほとんど聞き取れなかったよ」
 話を広げようとせず、相槌を打とうともせず、無関心を通した男の言い分がこうだ。
 自分が非常識だから「違う」と否定されているとも考えず、逆に私の言葉を雑音だと見下し、ろくに耳に入れてもいなかった。
 ぼんやり、化け物だ、と思った。
 会話が成り立たない。相互理解が及ばない。こちらに非があると壊れたように主張し続ける。
 そんなものを、人間だとは思えなかった。

 自分の意見全てを実母(姑)の口から喋らせ、相手の意見は聞き入れず、逆に少しでも負い目を感じているような発言をすれば「そうだよ、君が全部悪いんだからね」とふんぞりかえる男。
 そいつとも、その一族とも関わるだけ時間の無駄だと判断した私は離婚を承諾した。するとマザコン野郎は、今月末には離婚届を役所に提出して出て行けと言い出した。
 姑をはじめとするマザコン野郎一族に私物を触らせたくない以上、引っ越しの梱包作業は私が全て一人で行わなければならない。
 加えて、パートであっても仕事を辞める時にはそれなりの手順というものが存在する。退職の意向を上司に伝えてから、改めて時期を話し合う必要がある。
 世間一般では二ヶ月以上前に言うものであって、今月辞めたいから辞める、などと急に言い出すものではない。
 どれをとっても今月中に全て済ませろというのは非常識だと訴えたが、マザコン野郎は「そんなに長くいるつもり? 僕のストレスや負担は考慮してくれないんだね」と無表情で呟き、返答も聞かずに部屋にこもった。
 お前が言うな、と衝動的に殴りたい気持ちに駆られたが、相手は男だ。やり返されたらこちらの方がひどい負傷をするだろうし、暴力を振るったことを大義名分にして何をするか分からない。
 マザコン野郎の都合のいい展開になろうとも、奴と関わらずに全てを済ませるしかなかった。
 パート先の店長に深く謝罪して離婚を理由に退職を申し出ると、店長は事情をくんでくれた。働きがいのある食堂だっただけに悔し涙を流してしまい、パート仲間に慰められた。
「やだ、そんなのモラハラじゃない。大丈夫、あたしの娘も一年で離婚しちゃったわ」
 何が大丈夫なのかは分からないが、寄り添おうという気持ちはありがたかった。
 月末いっぱいまで精一杯働き、帰宅後は梱包作業に追われる私をよそに、マザコン野郎はいよいよ対面を避けて部屋にひきこもった。
 「もう食事も作らなくていいから」と面倒くさそうに言ってきて、言い草に腹が立った。
「嘘でも、今まで作ってくれてありがとうと言えないんですね?」
 LINEに送信したが、既読無視された。
 家庭が崩壊していようと、マザコン野郎は塾の子供たちにはいつも通りの態度で接していたし、ひきこもった部屋では友達と通話してバカ笑いをしていた。それがあまりにも不気味だった。
 心がある優しい人のふりをするのがうまいだけ。本質はわがままで幼稚そのもの。実母に何もかも任せきりで、実母の指示なしでは何もできない。そんな男が十年以上教職に就いて、何食わぬ顔で子供に教育を施している。恐怖だ。
 こんな奴の子供なんて作らなくて良かった、と思う一方で、結婚して幸せな家族を作るという夢が叶わなかった事実が胸に重くのしかかり、際限なく涙を落とさせた。
 私はそんなに困難なことを、実現不可能なことを願っていたのだろうか。
 生まれたての姪の顔を見た時、自分にもいつか実子が欲しいと思った。道ゆく妊婦が、親子連れが羨ましかった。
 でもそれもお終いだ。
「帰ろう。家に帰ろう。ここは私の住むところじゃなかった。こんなところにはいられない」
 泣きながら心の中で唱えた。

 月末、パート最終日のその足で役所に行き、離婚届を出した。
 マザコン野郎と姑は慰謝料どころか、私に「互いに金を請求しません」という約束状を書かせた。弁護士を呼び訴えられるのを避けるためだろう。
 手切れ金すら支払うのを嫌がり、自分たちが正しくこちらが悪いと心の底から信じ続ける者たちに何を言っても無駄だった。
 マイナスじゃないだけマシだと思い、着の身着のままトランクを提げて出て行った。
 頼むから一族郎党不幸になってくれと呪いながら。

 数日後、引っ越し業者が数多の私の荷物を実家に届け、出戻りが完了した。
 慣れ親しんだ実家に帰ってからも、あの一族の悪夢やフラッシュバックにたびたび見舞われ、今なお正常な精神状態には戻れていない。
 全て実話である。身バレの可能性を危惧して自分の心だけに留めておくようなことは出来なかった。
 私が黙っていても、あいつらが得をするだけで、踏みにじられた怒りは晴れはしない。どうしても、書いて気をすませたかった。

 読者の皆様、最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。