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シン・エヴァンゲリオン劇場版感想

この記事にはシン・エヴァンゲリオンのネタバレを含んでおります。
ネタバレを喰らいたく無い方は、さっさと帰られるがよろしい。


シン・エヴァンゲリオンを見た後は他人の感想を漁って、多くの年月をエヴァに付き合った方々の悲喜交々を眺めていよう。
それだけで良いと思ったのですが、やはり私もエヴァとは約20年くらいの付き合いです。
ここで私の憑き物落としも兼ねて、感想の一つも綴っていこうと思い打鍵を始めた次第です。

取り敢えず、私と新世紀エヴァンゲリオンと言う作品について書いていきます。
これはネタバレが目に入らないための防波堤代わりの文章なので、興味のない方は目次にて飛ばすと良いでしょう。時間を無駄にする事はありません。

私が新世紀エヴァンゲリオンを本格的に見たのは、高校生の頃でした。
それまでに無いメカデザインと、迫力の戦闘シーン、細かい作戦準備の描写にたちまち取り込まれました。
気がつけばテレビシリーズと旧劇場版を全て見終わってたのです。
そしてその後に残されたのは尽きない謎と、膨大な設定。さらにそれを元にした考察の山でした。
それらを見ながら私は思いました。この作品にはとんでもないスケールの真理があるのかも知れない。
私にとって新世紀エヴァンゲリオンが特別な作品になった瞬間でした。

それからは友人達と考察を語り合い、友達のプレイする鋼鉄のガールフレンドを後ろから見たり、友達のエヴァンゲリオン2を一緒にプレイしたりして、また各々の考察をぶつけ合ったりする高校生活を送ったものです。
ああ、ちょうど良い機会なので、あのとき私にエヴァンゲリオン2の内容や設定を、余す事なく教えてくれた友人諸氏にあらためてお礼申し上げます。
特にジェットアローン改がいかに面白いか、時田のモノマネと身振り手振りで教えてくれた姿は今も覚えております。

それから時が流れ、新劇場版の序。
時間が経つにつれて、高校生の時には気付けなかったことも見えてきました。
主にエヴァの登場人物に碌なやつはいない、とかですね。特にミサトさんのヤバさとか、ゲンドウのどうしようもなさ。
そして破で盛り上がりに盛り上がったのです。
あの!あのシンジくんが遂に切れた。うほー!やれやれ!と大興奮。映画終了後、場内で拍手が鳴り響いたのを聞いたのは初めてでした。
よくぞ、私達が見たかったものを見せてくれた。
その後のQで見事に叩き落とされ、そうだエヴァだもんなと肩を落として帰ったのでした。

私のエヴァとの思い出語りはここまで。

ではここからは、シン・エヴァンゲリオン本編の内容で感想を書いて行きます。
私の主観かつ一回見ただけの適当な感想なのであしからず。

以下ネタバレ含み感想

まず最初のパリのシーン。
エヴァ恒例のホットスタートですな。取り敢えず派手な戦闘シーンから始まるやつです。
何か言うなら、ガシャガシャ歩いてくる山車みたいなエヴァ達がなんだか面白かったくらいですな。

続いて第三村。
まさかのトウジとケンスケ生存。しかも成長している!

・トウジとケンスケについて

・トウジ
ヒカリと結婚して家庭を持つのは予想できた。
思えばトウジが参号機に乗らなかった事が、作品として新エヴァと旧エヴァの明確な分岐点に見えました。ハズレくじを引いて大当たりとなった。
家庭を持った事により普通の父親としてシンジと接する役割です。

・ケンスケ
そう言やこいつ旧エヴァの時からシンジのケアしてたな。旧では子供ゆえ大した関わりが出来なかったが、こいつを成長させたらそりゃ最強のコミュ強キャラになるよ。
よくよく考えてみたらアスカとネンゴロいけるわ。

この二人が心を塞いでズタボロのシンジにかつての友達の様に、また大人として慰め、労り、寄り添ってくれる。
これ!これだよ!シンジに必要だった普通の大人だよ。

エヴァンゲリオンで出てくるのは碌でも無い大人だけ。これは今まで私がエヴァを語る時に言っている事です。
旧のエヴァンゲリオンなんかは特に、シンジ苛めのためか、周りに彼をフォローする大人が居らん。

もちろん、トウジとケンスケはシンジの事情を事前に聞いてる可能性が高いと思います。
そして彼らも14年間を必死で生きてきたのでしょう。辛い事や悲しい事や憤る事をいくつも経験して、この事態のトリガーとなったシンジが目の前にやって来た。
でもシンジは14歳のあの頃のままだし、世界にも自分にも傷付けられてボロボロです。
だから彼らはあの時の友達への思いと、傷付いた子供に対するやるべき事として、大人の善性を持ってシンジと接します。
ニアサードインパクトと言う世界の終わりを前にして、彼らも無力感に打ちのめされたでしょう。
ましてやシンジは当事者です。そのボコボコ振りはご覧の有り様です。
それがあるからこそ、シンジを慮り労われたのです。
シンジにしてみれば、自分のせいで友達が目の前で死んだ後に、友達から滅茶苦茶優しくされる。こんなん感情がぐちゃぐちゃになりますわ。

繰り返しますがトウジとケンスケは、シンジの友達と言うだけの普通の大人です。
だから普通の事しか言いません。
でも、その普通こそがずっとシンジに必要だったものなのです。
他者を慮り、寄り添いながら適切な距離を図り、言葉を態度を表情を交換しながら生きていく。
そんな普通の優しさこそが、ヤマアラシのジレンマの解決法で、人類に必要なものだと思います。

・アヤナミについて

アヤナミは第三村で急速に人間性を獲得していきますが、これは別に不自然とは思いません。
序破で綾波もシンジとの交流で、シンジのために何かをしたいと思う自己を得ました。
アヤナミはさらに沢山の人との交流を持ったため、その速度が速かっただけでしょう。
その結果、シンジの綾波じゃないと言う言葉も合わせて、綾波じゃ無い何かに成ろうとしました。
そしてシンジに名前を貰おうとします。
その回答は「あやなみはあやなみ」でしたが、この頃にはほとんど回復していたシンジなので、適当に言ったのでは無く、彼なりに考えてでもそうとしか言いようが無いと結論したのでしょう。
彼女はこの言葉を「アヤナミはアヤナミだ」と受け取った、だから満足して終われたのだと思います。

取り敢えず今回はここまで。
後にも色々と言いたい感想はありますが、想像以上に文字数とカロリーが必要だったので一旦区切ります。
この続きはまたの機会に。

最後に、続きを最後まで書き切れるか分からないので、感想の結をここに書いておきます。

私にとって新世紀エヴァンゲリオンが言いたかった、表していた事は相補性です。
沢山の事柄がそれぞれを補完し合い、自分の世界を形作っていく。それは事柄が多いほど強固に、豊かに彩られていく。
それがあのラストシーンまで見た私の感想です。
普通ですね。

作品内で、人と人の補完なら旧エヴァは人類補完計画により、強制的に他者と混じり合いました。しかし、この計画は、他者の嫌な所も強制的にわからせられると言う欠点がありました。ごめん被りたい。

シンエヴァンゲリオンは早々に、どうせシンジなら拒否するだろうなで、補完計画を流してしまいました。先にも書きましたがヤマアラシのジレンマ、心の壁の解決法はもう描かれています。

他者を慮り、寄り添いながら適切な距離を図り、言葉を態度を表情を交換しながら生きていく。
そう普通の事です。

虚構と現実。
人は物語を自分に取り込みそれを人生に当てはめる。そして現実の経験から物語を読み解く。
これはここまでのエヴァンゲリオンと言う作品自体が証明してくれました。
25年と言う年月をかけて、エヴァンゲリオンを読み解こうとした人々に対する回答でもあります。
そして作り手もまた、その作品の評価を受けて、別の作品の出力の糧となるのです。

物語はそれを読む人に、登場人物の追体験や情動などの、私達がもち得ないはずの経験を与えてくれます。それを自分の人生の指針にしたり、迷った時の方位板に利用したりするのです。
心にマンガや映画、小説の名セリフをいくつも覚えている人は多いでしょう。
また逆に現実の、これまでの人生の経験をもとに、物語の解像度が上がったりした人も多いでしょう。
序盤に書いた様に私自身、20年の時を経てエヴァの登場人物の理解がだいぶ出来ました。年月の経験が見えなかったもの、理解のできなかった考え方を教えてくれたのです。
これも普通の事です。

さて、これまで普通普通と散々書いてきましたが、新世紀エヴァンゲリオンと言う作品が言いたかった事。それはなんて事はない普通の事なんです。
私は序盤に、この作品は壮大なスケールで何か特別な真理を説こうとしている作品だと感じたと書きました。
しかし、この作品のとんでもない所は、これだけの長い年月と膨大な設定と広大な作品群を、この普通の結論に収束しきった事です。
多くのファンに特別な作品だったエヴァを普通の作品に戻した。
多くの人が知っていて、多くの人が納得する。
この結論に監督はシン・エヴァンゲリオン、一本の映画だけでまとめ切ったのです。
店じまいとして、こんな見事なオチの付け方がありますか?
少なくとも私の20年のエヴァと言う荷物(憑き物)はスカッと取り外されました。
私の人生とエヴァンゲリオンの物語。20年絡まりに絡まった2つはこの映画で真に補完されたのです。

エヴァンゲリオンという虚構と、私達や制作者の補完はなされました。
これを経て、庵野監督が新たに生み出すシン・ウルトラマン。期待しましょう。

ありがとう、全てのエヴァンゲリオン
さようなら、新世紀エヴァンゲリオン


あ、蛇足ですがこれは言っておかねば。

髪伸びた綾波が綺麗で可愛すぎるだろ!
なんちゅうもんお出ししてくるんや。

それとアスカ!プラグスーツ半ビリでパンパンになっとる肉体がエロ過ぎるわ!青少年のナンカが危ない。性癖がどうにかなるぞ!

マリ!もう作画の段階で、乳のデカさを隠す気が無い。やはり乳、乳のデカさこそ力、巨乳こそ勝者だ!これはこの先マリの乳をいくら盛っても構わないと言うメッセージですね。ありがとう!!!

台無しだけどこれもまたエヴァよ。以上!

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