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ジェンダーフリーって言葉にふりまわされないで…。

最近、「ジェンダーフリー」という言葉にふりまわされて、考えられないようなことが頻発しているように思います。

歌舞伎町の新築商業ビルのジェンダーレストイレのてんやわんや。

粋がって男性も女性も使えるトイレを作ったものの、一ヶ月もたたずして個室を女性専用、男性専用に区別した。
その対応のスピードに、よほど評判が悪かったんだろうと同情するも、女性エリアと男性エリアを区切る仕切りがあまりに粗末。
しかも常駐している警備員が、男の姿を見かけると「小便器は反対側にあるから、こっちに来るな」とヒステリックに叫ぶ始末でどうにもしがたい。
誰のためにもならないトイレになっちゃった。

そしたら先日、こんなニュースが配信された。

運動会の徒競走をジェンダーレスにしたら男子生徒ばかりが1位になっちゃったというエピソードからはじまるあれこれ。

文科省が教員向けに作った「性的マイノリティーへの学校指導はどうすればいいのか」という資料がこれまた、とりあえずやっつけ仕事でつくりました…、って程度の内容。

ジャンダーフリーの問題に限らず現状打破に取り組む上で大切なのは「付け焼き刃でなく根本的な」問題解決をする姿勢。

今まで通りでいいものは残す。
いらないものは無くして足りないものを作る。

それでいいはず。
最近のジェンダーフリーに関する様々を見ていると、そんなにも「今」がダメなんだろうか…、って思ってしまう。

子たちの未来を真剣に考えて、イマジネーションを働かせればジェンダーフリー徒競走なんてしちゃいけないってわかるはずなんだけど、今、今日、今月、今年程度のことしか考えないからああいうことを平気でしちゃう。
なやましい。

幼少の砌、シンイチロウ少年の悩んだこと

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