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タナカくんと上条毬男

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25年間付き合ってきた大切なパートナー。タナカくん。 彼には上条毬男というもうひとつの世界がありました。一世風靡したゲイ漫画家で、けれど晩年、その経歴から決別し新しい世界を切り拓…
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#上条毬男

セクシーが苦手だったタナカくん

「セクシー田中さん」の作者が自らの命を絶った…、というニュースを聞いたとき。 そして事後、その理由に関するさまざまな考察を聞いて、そういえばタナカくんも雑誌の編集者に対して不平を漏らすことが多かったよなぁ…、って思った。 ボクも実は同じような気持ちになったことがある。 「ほぼ日」さんで連載をしていたとき、漫画化しないかとかドラマの原作に使わせてもらえないかってオファーがいくつもあったのだけど、打ち合わせをすればするほど気持ちが離れてしまって結局、交渉決裂ってことになった。

ウーピーゴールドバーガーとタナカくん

東京都内であればどこへでも原付で移動していたタナカくん。 1時間とか平気で原付を走らせていた。 大変じゃない? そもそも退屈なんじゃないの…、って聞いたら歌いながらのればあっという間さって笑ってた。 ポルコロッソヘルメットをかぶって乗ってた。 紅の豚のポルコロッソが被ってたようなゴーグルと耳当てのついたヘルメットで、耳がすっぽり隠れるタイプ。 だからカナル型のイアフォンを片方だけして、オキニイリの歌を聴きながら運転するのネ。 聴けば自然と歌が口から飛び出してくる。 つまり、

ボクは元気にやってます!

今年のお盆はタナカくんが戻ってきたんじゃないかしら…、って思うほどに気持ちがずっとざわざわしてた。 落ち着かないんですよね。 ソワソワしちゃって。 それで電車にのってタナカくんがひとり暮らしをしていた部屋を見にいったり、好きだったものを作って食べてみたり。 盆明けの朝には珍しくタナカくんが夢に出てきた。 へんてこりんな夢でねぇ…。 尻切れとんぼで目が覚めて、その夜、早く寝たら夢の続きがみれるかしらと思って早く寝たのに続きはみれなかった。 無事に空の向こうに帰ったんだなぁ…

さみしいよぉ…。

タナカくんが逝ってから今日で3年と一ヶ月。 今でもさみしい。 町を歩いていると、一緒に歩いたときのことがふと思い出されて泣きたくなっちゃう。 ひとりで歩いているのがさみしくってネ。 そんなときにはギューッと右手を握りしめて、タナカくんがそこにいるんだって思って気持ちをなぐさめる。 歩くときにはたいていボクの右側にいた。 ボクはちょっとした事故で左側の耳の鼓膜が傾いていて、声や音が聞き取りづらいから騒々しい町を歩くときは右側。 エスカレーターにのるときは、ボクが後ろでずっと

タナカくんとボクの共同作業…、外食産業のマンガ

ゲイ雑誌の連載の仕事を断り、二丁目とほぼ決別したタナカくん。 ちょうどワハハ本舗との関わりができて、パンフレットやポスターの仕事をするようになっていました。 劇団員の人たちからまりおさん、まりおさんって呼ばれてかわいがってもらい、たまに舞台に出たりもしてそれなりにたのしんでいたのだけれど、やっぱりマンガを書きたいという。 絵を描くことと漫画を作ることは別のことなんだかと言うのです。 作画はマンガ作りのほんの一部。 ボクは「ネームを切る」のが好きなんだよネ…、って。 どん

上条毬男くんとの出会い

ボクのブログでもFacebookでも、タナカくんとしての話しかしてこなかった。 タナカくんの中のもうひとりの人格はゲイ漫画家の上条毬男。 その世界ではとても有名だった人。 けれど彼が40半ばになった頃、もう上条毬男とは決別しようと思うんだ…、って言ってゲイ漫画家としての活動を一切やめた。 理由はいろいろあったんですネ。 やめた気持ちがよくわかったから、絵かきとしての新しい仕事をずっとサポートしてきた。 叶わぬ夢もたくさんあって、だからずっとタナカくんとしての話だけをしてきた。