五期目の自己批判 あの日の秋谷栄之助 あるいは本部幹部会の回数リセットについて

一、戸田先生は、「第3代会長を守れば、広宣流布は必ずできる」—こう厳命をされました。                            創価学会の根本は師弟であります。私は、第3代の池田先生を、生涯、お守りし抜いてまいります。それ以外に私の使命はございません。       先生の偉大さは、そばにいた私が、一番よく存じ上げております。     私などは、先生と比べれば天地雲泥、桁違いです。池田先生の存在は、牧口先生、戸田先生にも増して大きいのです。一番、偉大な存在であられるのです。                                  先生がおられるおかげで、会長を務めさせていただいています。戦うことができます。全部、先生に守っていただいています。            このご高恩は、一生涯、永遠に忘れることはできません。          偉大な師匠である池田先生の大恩に報いるために、さらに一生懸命、戦ってまいりますので、よろしくお願いを申し上げます(拍手)。       聖教新聞 平成18年(2006)3月11日 引用文の強調は筆者

 平成18年(2006)3月に行われた第58回本部幹部会(注1)の会長指導より一部を引用した。筆者はこの日の紙面、秋谷栄之助会長(当時)のスピーチを保存していた。その当時としてもかなり強い違和感を覚えたからだ。一読して異様な印象を持った。25年も会長を務めてなお、再任を前にしてここまで自らを卑下しなければならないのかと。秋谷氏は池田氏より長く会長を務めてさえいる(秋谷氏25年、昭和56年から任期5年を5期、6期目再任直後に辞任。池田氏19年、昭和35年から任期2年を1期、昭和37年から任期4年を1期、昭和41年創価学会規則を改訂、会長任期を終身に。昭和54年辞任)。それなのに、と。強調した部分は言い過ぎだ、逆だろうと思った。普通こういう場合にはたとえ三代を前にしてもまず初代、二代、三代の順で宣揚し自らは謙遜する、三代もそれでよしとするのが通例であろう。しかし、逆ではなかったのだ、池田氏の下での創価学会においては。この時以外にも宗門と別れて創価学会内部では決着がついた、勝利したとされた2000年から2010年くらいにかけてだろうか、池田氏自身の「私だ。私(が根本)なんだ。」、「(広宣流布は)全部、私がやったんだ。」といった言説を何度も耳にした。念のため活動家の友人に確認したら彼も苦笑しつつ頷いていた。創価学会の本部に勤めるような職員、幹部相手ならともかく、少なくとも一般会員も中継等で参加するような会合での指導では、初代、二代を宣揚する模範的な弟子としての池田氏の姿勢をみてきていただけに、この頃の氏の言説、特に秋谷会長に対する「いびり」としかいいようがない数々の態度には強い違和感が残っている。やはり先生も人の子、豊臣秀吉の晩年のようだ、とも思った(これには批判があろうかとも思うが)。勿論、秀吉の晩年をじかに知るわけはないのだけれど。

 秋谷会長は、本部幹部会で痛烈な自己批判をさせられたこの年(2006年7月)、いったんは再任され会長職は通算6期目となった。しかし、その年の11月に体調不良を理由に会長を退き、後任に原田稔氏が創価学会第6代会長に就任した。創価学会・公明党の人事において体調不良を理由とする辞任を額面通りに受け取ることは難しい。2015年の正木正明氏の理事長退任も表向きは体調不良を理由にしていたが実際は1期5年で2016年までが任期のはずだった原田稔氏の会長任期を会則改訂で1年短くして4年とし、2015年で任期満了として、同時に任期を会長と同じくする理事長の任期も失わせるといった唐突かつ手続きの適正さが疑われかねない手法で、解任に近い形であった。本当に体調不良であれば理事長のみ辞任して後任を決めればよいだけの話で、他にも正木氏に近いとされた幾人かの総務や副会長もその職を解かれたと仄聞するにつけ、背後に会長人事をめぐる執行部間の権力闘争があったのではないかと筆者は推測している。つまり任期を1年短くする会則改訂を唐突に行うことで、正木理事長側が会長就任に向け多数派工作する余地を失わしめたということではないのか。                             また、公明党代表を務めた神崎武法氏は議員引退後、しばらくしてからようやく代表であった時期にすでに病気を患っていたことを公表したし、冬柴鐵三氏も2009年の衆議院選挙の落選後、一旦は引退を表明したものの、のち撤回、その後次の選挙を迎える前に逝去したと記憶している。たとえ体調不良等の個人的な事情があろうと自らの一存では辞任や引退などできない傍証にはなろうかと思う。ちなみに神崎氏が公明党の代表を退いたのも秋谷氏が会長を辞任したのと同じ、2006年である(後任は太田昭宏氏)。

 秋谷栄之助氏を会長に再任したうえでその直後に辞任するよう仕向けたのは自らも会長辞任を経験した池田大作氏の意趣返しだったのだろう。それでも全く足りなかったのだろうが。ただ、秋谷氏は秋谷氏で池田氏に対して含むところを感じる。戸田城聖から城の一字をもらい(注2)、秋谷城永と改名していたのに、池田氏の会長就任後は再び元の栄之助に戻した経緯。学歴を重視するといわれる氏の姿勢。山崎正友氏の著作にも以下の指摘がある。「北条氏をはじめ執行部に池田氏個人に対するデリカシーに欠けることがままあることについて、池田氏は神経をとがらせていた。」(「盗聴教団」106頁)だからこそ山崎正友氏はその隙を巧みについて池田氏に重用されるに至ったのであろうし、筆者の正直な見立てもトップとナンバー2の理想的な関係には程遠い。猜疑心と面従腹背。「偉大な芸術家の思い出に」で知られるニコライ・ルビンシテインとチャイコフスキーのように、確執がありつつもお互いに敬意を持った関係、とはとても言えない気がする。

 注1)本部幹部会の回数リセットについて                   池田会長就任以降、筆者の調べた限りでは現在までに7度、回数がリセットされているので注意が必要である(戸田会長時代は回数を示さず何月度本部幹部会という表記だった)。                     池田会長就任後、昭和35年(1960)5月の第1回本部幹部会から昭和62年(1987)12月の第339回本部幹部会までで一度目の回数リセット。
昭和63年(1988)1月の第1回本部幹部会から平成8年(1996)5月の第100回本部幹部会までで二度目の回数リセット。                平成8年(1996)7月の第1回本部幹部会から平成12年(2000)12月の第52回本部幹部会までで三度目の回数リセット。
平成13年(2001)1月の第1回本部幹部会から平成18年(2006)10月の第64回本部幹部会までで四度目の回数リセット。
平成18年(2006)11月の新世紀第1回本部幹部会から平成25年(2013)10月の新世紀第68回本部幹部会までで五度目の回数リセット。 
平成25年(2013)11月の世界広布新時代第1回本部幹部会から令和2年(2020)11月の世界広布新時代第47回本部幹部会までで六度目の回数リセット。
令和3年(2021)1月から創立100周年へ第1回本部幹部会から令和5年(2023)11月の創立100周年へ第16回本部幹部会までで七度目の回数リセット。
令和6年(2024)1月から世界青年学会開幕 創立100周年へ第1回本部幹部会から4月の同第2回本部幹部会を経て現在に至る(寿限無みたいだ)。

昭和63年(1988)は池田氏が還暦を迎えたことを契機としたのであろう。
平成8年(1996)は100回を区切りとしたもの。
平成13年(2001年1月)は2001年、21世紀を機に、であろう。
平成18年(2006)は秋谷会長辞任、原田会長就任を契機にしたのだろう。
平成25年(2013)は大誓堂落成を記念してのもの。
令和3年(2021)は創立100周年にむけ10年を切ったので、ということか。
令和6年(2024)は前年11月の池田大作氏の逝去を機に、というほかなかろう。
上記の様に7度回数がリセットされている。本稿での第58回とは2001年以降三度リセットされた後のもの。池田氏はとかく1という数字が好きなようで、会合も第一回という名目で新たに行うことを好む印象がある。ただ、回数のリセットにつき、その時々の事情はあるのだろうが一貫した思想のようなものを読み取ることは筆者にはできなかった。ちなみに大白蓮華2018年1月号で本部幹部会の意義や回数を新たにした背景等を特集した記事があるが、そこで戸田城聖の誕生日である2月11日を誤って祥月命日と記載しており、企画を台無しにしている。残念なことにその後も大誓堂落成を創立80周年の2013年とまた誤記し(創立80周年は2010年)、とかく誤りは尽きない(2024,4,21 同年からの本部幹部会の回数リセットを確認したので追加)。

注2)戸田城聖が城の字を与えた弟子は二人いる。秋谷栄之助氏(早大卒、
創価学会第5代会長)、渡部一郎氏(東大卒。元公明党衆議院議員、東大法華経研究会を結成した4人のひとり。他は篠原誠、青木亨、森田康夫。)である。秋谷氏に城永、渡部氏に城克という名を与えた。しかし、池田氏が会長に就任して数年のち、昭和40年を過ぎたころには二人とも改名した名を元の名に戻した。戸田城聖の真の弟子は自分だけだとの池田氏に遠慮、忖度した結果だと筆者は考える。

本部幹部会の回数については、創価学会年表、三代会長年譜下巻(一)、(二)を参照した。平成19年(2007)以降は「海外SGIメンバーのための情報提供ページ」というサイトを参考にした。

追記 本部幹部会の回数のリセットにつき、筆者はその時々の事情はあるのだろうが一貫した思想のようなものを読み取ることはできなかったと書いた。ただ、創価学会の歴史や過去を軽視し、都合の悪い史実や出来事は隠蔽したり、改ざんしたりして恥じない姿勢からすれば、歴史や過去に目を向けさせない効果はあるように思う。これほど回数をリセットしてしまうと、過去をたどることは煩雑で、絶版になっている創価学会年表や非売品の三代会長年譜がなければ困難な作業になるだろう。現当二世、現在と未来。過去はどうでもいいと言ってはばからない人々が創価学会には多いが、こうした会の姿勢も影響しているのだろうと筆者は感じている('22.10.15)。


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