給料をケチって人材流出、経営悪化で解任された大手広告代理店創業者の話

人間というものは本能的にケチにできている。
というか、ケチな性分をもった個体が生き残って、
遺伝子的に我々につながっている。
ケチでないDNAはきっと生き残っていないのだ。

例えば、どんなにお金持ちになっても、
ケチでなければ金持ちであり続けるのは難しい。
世界有数のお金持ちであるイギリスのエリザベス女王も、
バッキンガム宮殿の中で人のいない部屋の電気を消して回るらしい。
もちろん「電気代がもったいないから」という理由で。

ちょっとした企業を創業するような人は、
とりわけケチだと思った方がいい。
ケチのことを別の言い方で表現すれば、
「コスト感覚が鋭い」ということになる。
コスト感覚が優れているからこそ、利益を厚くできるのである。

昭和も中ほどの37年と言えば、私の生まれた年だ。西暦なら1962年。
この年に生まれた広告代理店がある。
S氏という人物が起こしたS芸という会社。

私が嘱託社員のコピーライターとしてこの会社に
さまよいこんだのは1987年。昭和なら62年のことだった。
それから四半世紀後の2012年頃まで、
私はこの会社に多少なりとも関わってきた。

もっとも、「社員」として在籍したのは最初の2年半。
そのあとの30年は外注先の制作プロダクション、
あるいはOBとして様々に・・・

創業者のS氏が追い出されたのは2008年だったと記憶する。
その時点で83歳ではなかったか。
彼はこの会社を創業し、事業を盛り立て、多くの人材を育てた。
ところが、その多くの人材は次々と流出し、
ライバル代理店に流れてしまった。
彼らはS芸で授かったノウハウを駆使して大活躍。
結局はS芸から多くの仕事を奪った。
それが、この会社の経営が傾いた最大の理由だと私は考えている。

私も早期に流出した一人である。
しかし、辞めてからもまるで社員のように
社内をウロウロしていた時期があり、
諸先輩方から「お前、何年いたんだっけ?」と聞かれて
「2年半です」と答えるとビックリされる。

私はこの通り、人の好き嫌いが少ない方である。
コミュニケーションも苦手ではない。
だから、自分の仕事に関係ない部署によく出入りしていた。
ある意味で「顔が広かった」と言っていい。
だから、会社を辞めてからもいろいろなところから
フリーランスとして仕事をもらっていた。

時あたかもバブルの終わりかけ。1990年のことである。
それから約19年。私はいち制作プロダクションの社長として
この会社との腐れ縁を続けることになった。
いろいろあった。いろいろあったよ、本当に。
実は、この会社が傾きだす原因の、
ほんの数パーセントくらいに私は関わったかもしれない。
もう時効だから、ここで書いてみよう。

この会社、S氏が創って、S氏が育てて、S氏が傾けた。
今も続いてはいるが、それは私から見れば別の会社みたいなもの。
経営が傾いた理由は、人材の流出が止まらなかったから。
人材が止めどもなく流出した原因はいくつかある。
それも、ここから述べていきたい。

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