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ガチ曲とネタ曲の狭間で、ニコニコを考える

こんにちは。まもなく新年度を迎えようとしているさかじょんです。
いや~ボカコレでしたね! 私は期間中に500曲くらいしか聴けなかった(比較的)よわよわボカロリスナーでしたが、皆さんはボカコレ楽しめましたでしょうか。

さて、今回ですが、かねてより思っていたことではありますが、改めて巷をにぎわした「ガチ曲」と「ネタ曲」の間のことを考えたいと思います。

少し主張的でもありますので、皆様も思うところがあるかもしれませんが、私は基本的に論破してやろうという姿勢ではないのでゆるしてください(?)
こういう考え方も……あるよね!って思っていただけると幸いです。

初音ミクにこれからもがんばってほしいという話でもありますね。

「ネタ曲」ってなんなんだろう

きっかけ

今回、この内容で記事を書くか~ってなったのは、以下の子牛さん(@COWshi504)のツイートを見て思ったことがあったからです。

子牛さんもおちこんだりするんd……あれ?

とまあ、そういったわけで今回は「ガチ曲」と「ネタ曲」の狭間に何があるのかという点について考えます。

そもそも「ネタ曲」ってなんぞや

一般的な知識が欲しかったので、とりあえずニコニコ大百科、見ますか~。

ネタを重視した曲目を指す単語である。
作曲の方向性としては、主に笑いの要素を持つものが多い。

⇔ガチ曲

https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%8D%E3%82%BF%E6%9B%B2

すっごく簡素な記述でした。笑 
ただ、一般的に「ネタ曲」の対義語が「ガチ曲」であるということは言えそうです(これは私の実感にも合っています)。

では、いろんな人がいるニコニコ動画において、「ネタ曲」として捉えられている曲とは何なのでしょうか。

子牛さんのツイートから推察するに、「秋の未確認生物」や「海のサーチライト」は「作者としてはネタ曲じゃねって思っていたのに、周りからするとネタ曲じゃないって言われた」ということなのかなと捉えています。

作者と周囲の認識がズレることもあるんだったら、じゃあ「ネタ曲」っていよいよ何なの?

「ガチ」と「ネタ」に境界線を引くことは可能か

そこで今回の私としては、「ガチ」と「ネタ」に明瞭な境界を引くことは難しいんじゃねって言いたいと思っており、「ガチ寄りの曲」「ネタ寄りの曲」があって、どういうところを自分が好きかという話になるんじゃねって感じです。

これに似た主張は以前も「ポエトリーリーディングは楽曲か否か」という話が盛り上がった際に書きました。

「プロトタイプによるカテゴリー観」で捉えれば、「ポエトリーリーディング」は一般的に「楽曲」とされる要素群(つまり「楽曲」のプロトタイプに近い要素群)に対して、やや距離のあるところに位置しているということになります。私はこの捉え方を踏まえて、「では、プロトタイプからどこまでの範囲を初音ミクWikiの掲載対象とするか」という「落としどころ」の議論に進めるのが、良い議論の在り方なのではないかな~と思ったというわけです。

https://note.com/sakajohn7/n/nbcf949760e5a

(↑「プロトタイプによるカテゴリー観」が何なのかは記事内で説明してますので、良ければ読んでください)

そのうえで、今回のテーマについて私の心の中にある感覚を言葉にしますと、「ミュージックラインの音楽性が富む、音作りに手が込んでいる、MIXがしっかりされている印象がある」と、ガチ曲寄りの判定になるのではないかと思います。逆に、歌詞の「おふざけ性」が上がる(他の「ネタ」を引用する)ほどネタ曲寄りの判定になります。

私の中にあるガチ曲とネタ曲のイメージ

「音楽性」って何?とか「おふざけ性」って何?とかいろいろツッコミどころはありますが、感じてくれ~!(ごめんなさい笑)

「ミュージックライン・音作り・MIX」と「歌詞」はお互いに独立して感じることができる要素ですので、(秋の未確認生物などのように)いわゆる「ガチなネタ曲」みたいな概念が発生し、「ガチ曲」と「ネタ曲」の境界はますます不明瞭になっていきます。
そして、そんな「ガチなネタ曲」が好きっていう人もいると思いますし、それはとってもすてきなことだと思います。

これはあくまで私の中の判断感覚を言葉にしたものであり、「そうあるべき」という主張ではありませんのでご留意ください。
また、これは私がリスナーとして受け取る印象による基準であり、「クリエイター側がどれだけガチで(思いを込めて)作っているか」という観点は含まれていないという点を私は自覚しております。「ネタ曲」として扱うことによって、「クリエイターがガチじゃない」と言うつもりは一切ございません。

今回のボカコレにおける「ネタ曲」

今回のボカコレで最も大きく論争対象となったのは、ルーキーランキングに参加していたぬぬぬ(恐れ入りますが以下略)さん(@N____________u)の「よ う こ そ、 シ チ ュ ー う ど ん 銭 湯 へ !!」(以下「シチューうどん銭湯」)に関する騒動でした。

私の感覚としては、「シチューうどん銭湯」はかなり高い程度でネタ曲判定を受けます。それは、ミュージックラインの不明瞭さ(が強い箇所があること)や歌詞のおふざけ性の高さなどが判断基準になるわけです(そう言われればサムネもあるな……)。

正直に申し上げまして、私はネタ曲をほとんど聴きません。「シチューうどん銭湯」も1回しか聴きませんでしたし、たぶんこれ以降何度も聴くことはないと思います(ぬぬぬ(以下略)さん、ごめんなさい!)
それは、「私がボカロ文化に求めていること」がネタ曲のような面白さではなく、別のところにあるからです(以前も記事に書きましたが、クリエイターの音楽的個性だったり、初音ミクという媒体の重層性だったり)。

ただ、たとえ自分が好んで聴かないにしても、ネタ曲はボカロ文化の一翼として尊重されるべきとは思っていますし、自分が好きな合成音声音楽という文化の中で活動されているクリエイターには最大限の敬意を持っていきたいとも思っています。

また、やや蛇足ですが、「シチューうどん銭湯」をプロセカに入れるのかという点も、結構むずかしい話になってくるかな~と思います。ニコニコの文化とプロセカの文化はかなり異なっているように感じており、非常にニコニコの文化てんこ寄りである「シチューうどん銭湯」をプロセカ文化圏に突入させることは、私はそんなにいいことだと思いません。これは全く以てぬぬぬ(以下略)さんの問題ではなく、「ボカセカ」という企画自体の方に孕んだ問題であると思います。「星界ちゃんと可不ちゃんのおつかい合騒曲」は結果的にプロセカの文化圏にほどほどには受け入れられていると感じていますが、それもあの曲の明瞭でキャッチーなミュージックラインによるものと思います(つまり、歌詞のおふざけ性はやや高くても、「シチューうどん銭湯」ほどにはネタ曲寄りではないと私は思います。「ネタ」の引用も相対的には控えめな印象ですし)。

私は最近めっきりプロセカを開かなくなってしまった身なのですが、本件はいろいろな人や組織の「思い」や「事情」が絡み合っていることですので、個人的にはどうしても気になってしまっております。

ニコニコ動画という表現の場がどういう場であるかは、運営とユーザーの相互作用によって作られていく

さて、1リスナーの妄言ですが、今回の騒動の流れとして、「シチューうどん」のランキング除外という判断に対するニコニコユーザーの反応を見て、ニコニコ代表の栗田さん(@sigekun)も改めて考え、栗田さんの(代表としての、もしくはある意味「個人的な」)クリエイターへの姿勢とボカコレ運営の当初の判断の折衝によって、今回のような事の流れになったのではないかと思っています。

栗田さんのひっくり返し判断がユーザーの反応を見た後になったという点(ユーザーの反感を予想できなかったのか!という批判)もあるかもしれませんが、栗田さんも人間だし仕方ないと思います。
また、ニコニコ(ドワンゴ)もあくまで営利企業ですので、(あくまで私の推測でしかありませんが)プロセカ側に気を遣っていたかもしれないという点をひたすら責めるのも違うな~とも思います。

ただ今回、ニコニコユーザーの反応を見て、ある意味栗田さんの鶴の一声によって、ボカコレというニコニコの(今となっては)大きな構成要素の運営方針は変わりうるということがわかりました(運営現場の方の苦労は計り知れないかもしれませんが……)。
これは、良くも悪くも「ユーザーの声によってニコニコは変わりうる」ということを改めて感じさせてくれたことだと思います。

個々人、特にニコニコでよく活動している人ほど「ニコニコがこうあってほしい」という思いを持っていると思いますし、その思いと現実の不一致を感じることもあるんじゃないかと思います。
今後、その不一致が多くのユーザーで共有できるものであれば、ニコニコは応えてくれるかもしれないという期待を持てるかもしれません。

一方で、ニコニコには本当にさまざまな人がユーザーとしてかかわっていますし、ニコニコ(ドワンゴ)にもいろんな事情があると思います。
声を上げることによって、ニコニコは変わりうるけど、それって多くの人が思っている(と思える)場合や、ニコニコの事情的にもOKな場合であって、個人の思いに必ずしも応えてくれるわけではありません。

ニコニコとの間に譲れない不一致があるのであれば、不一致を抱えたままニコニコという場に居続けたり、あきらめずに声をあげ続けたりするか、もしくはニコニコを離れるかのどちらかです(これは当然のことでもありますが)。

ニコニコと自分の間に、良い関係を持ち続けることができるのであれば、これからもニコニコと一緒にニコニコすればいいと思います。少なくとも私はニコニコしているのでこれからもよろしくお願いしますニコニコの皆さん!

おわりです

さて今回は「ネタ曲」と「ガチ曲」に明瞭な境界を引くのは難しいんじゃねって話から、思いもよらずニコニコに関するお気持ち文書になってしまいました。

人にはその人のボカロの楽しみ方であったり、ニコニコの楽しみ方があります。私はそれら1つ1つを最大限尊重したいなという気持ちはありつつ、自分もボカロやニコニコを自分がしたいように楽しんでいきたいと思います。

自分と異なる楽しみ方をしている人やコンテンツには、時に異物感を抱いたりすることもあると思います。そこでなるべく衝突が少ない形でお互いを尊重していけるといいのですが。。。(その点、ボカセカは難しい企画ですね)

何はともあれ、ボカコレ楽しかったな~~と思いつつ、これからもボカロ曲をたくさん聴いていきたいなと思いました! ではでは。


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