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【西安】あこがれの古都・長安(一)アオハル的な誓い

 これは、かつて中国各地を放浪していた頃のお話。

 あこがれの地・西安。
 いにしえの都・長安。
「ついに、来たぁ!」
 七月初旬、鐘楼の上から市街を一望し、両腕をひろげ、この時のわたしは青くさい夢をかたった。
 とても非現実的な夢で、その後、一度は無理とばかり手放した夢。
 いま、ふたたびそれを拾い上げて、必死こいてその夢を追っている最中。
 実現がどれだけ困難で、人から鼻で笑われ、なま暖かい目でみられようとも、やっぱり、
「どうしても諦めきれんことに気づいちゃったしね。ものすごい挫折を味わう予感も濃厚だけど……」
 以前は、かすりもしなかった。
 今は、だんだんそうでもなくなった。
 けど、まだまだ道のりは遠い……。
 なんて思いつつ、あの頃、西安の市街を見渡した自分のことを、振り返らないではいられない。

          ◯

 てなことは、さておき。

 大陸製の気候は、乾燥していることが多いし、実際、西安の周囲なども見るからに乾燥していそうな風景がひろがっていたりする。
 実際、洛陽から西安へ列車でむかう500キロほどの道中で車窓から見えた景色に、
「あれ、ほら穴? しかも現役ばりばりに、人が住んでる様子だし」
 穴居というと、どうも原始的なイメージがつきまとうけど、乾燥している土地であれば、かなり快適にすごせるらしい。
 ま、陳舜臣のシルクロード紀行エッセイからの受け売り知識だけど。
 夏は涼しいし、冬は暖かいそうだ。
 だから、西安周辺は乾燥した気候、というイメージになった。
 そういえば〔指輪物語〕で、ホビットが栖むのは、とても快適そうな穴蔵だったなあ、なんて想起する。

 ところが。
 いざ西安に到着すると……。
「む、蒸すぅぅぅ……」

 西安一帯が湿っているのは、窪地ぎみになっている地形も大いに影響しているのかもしれない。
 よく雨も降っていた。

 初唐のころ、皇后時代の武則天が、夫・李治(高宗)の体調を憂慮して、湿度の高い宮城から、ちょっと離れた大明宮へ引っ越したことがあった。
 真四角な長安の北側に、ぽっこりとたんこぶでも出来たかのように飛び出した、付け足し感まんさいの宮殿だ。
 同じ長安なので、そうたいして離れているわけでもないけれど、ちょっと高台にあたる大明宮は、宮城よりずっと過ごしやすかったのだ。
 中国ではかなり再評価を受けている武則天、日本ではいまだに『冷酷非情な悪女』という偏見が根強いが、やはり、夫・高宗との間にあった愛情は本物だと、わたしは考えている。(歴史を記してきた儒教の徒にとっては、女のくせに皇帝になった武則天など、どれだけ悪く書いても書き足りない、憎むべき存在だったわけだ)
 ま……周囲に大惨事をもたらした夫婦喧嘩も、一度起こしてるけどね。

 ていうか、なんでそんな蒸す場所に宮城が……。
 長安全域の地形を考えても、皇帝が君臨すべきはずの宮城は、よりにもよって、いちばんの窪地にあたるのだ。
 そりゃ、湿気がたまりもするよ。
 その辺の事情は、最初に設計した時の、宇宙の理屈的都合によるものらしい。

 その時代から1400年ほど隔てた現代。
 まさに宮城があった場所に建つ安宿〔東平酒店〕にて、わたしは西安の湿りっぷりを存分に味わう羽目になったわけだ。
 中国で『酒店」だの『酒楼』というと、お酒の店ではなく、一般的にホテルを指す。
 シャワー室でTシャツなんかを洗って部屋干しすると、たちまち、部屋の壁に水滴がやどる。
 今、そのホテルを検索してみたら、とても快適そうな写真ばかり出てきたが、基本、あの頃と室内の雰囲気が変わるわけでもなく、よくある「見栄えのする部屋だけ撮っておきました」的な画像だった。
 ま、一番安い部屋だったしね、わたしの場合。

西安駅からほど近い安宿


          ◯

 現在の西安は、明の時代の城壁に囲まれている。
 南北2キロ、東西3.5キロくらい。
 それはちょうど、唐の時代の宮城(皇帝の住居兼執務エリア)と皇城(官庁街)をあわせたエリアと重なる。
 唐の長安は、そのエリアを含んだ8キロ×9キロもの広大っぷり。
 首都ではなくなったのだから、縮小もやむをえないが、実際に西安に立ってみると、長安がどれだけでたらめな広大さを誇っていたのか実感できてしまい、なんだかくらくらしてくる。

 まっさきに向かったのが、興慶宮公園。
 楊貴妃とのロマンスで有名な玄宗が住み、また政務をおこなった場所。
 それは西安市街の城壁から出て東へ2キロほど行ったところにある。
 いや待て。
 皇帝のおわす場所として、宮城の他に大明宮まであるのに、そこからさらに専用の宮殿をつくるんか!
 しかも、もともと人が住んでいた場所を占拠し、拡張しての建設だし。
 もし現代日本で「なんか飽きたから、ちょっと離れたところに首相官邸と国会議事堂と官公庁を新たに作るわー。そこに住んでる連中、退去な」とかやったら、間違いなく猛烈に批判されるよね。
 皇帝の権力って、強いなあ……。

 興慶宮の後には、小雁塔。
 長安を象徴する歴史的建築物のひとつで、13層43メートルの眺望がえられる。
 唐の時代には、さまざまな詩人がここへ登っては、漢詩をひねっていた。
 その、歴史ある眺望は、現代でも堪能できる。
 えっさほいさとのぼりつめると……、
「わあ……」
 西安四方をのぞむ風景に、声が出た。
 そりゃ、漢詩のひとつやふたつぐらい、ひねりだしたくなるってもんだ。
 わたしは日本人なので、俳句にしておいたけど。


          ◯

 長安の片鱗をあじわった後には、夕食を東新街の夜市へともとめる。
 名物は〔串串香(ChuanChuanXian:ちゅあんちゅあんしゃん〕と、友達から聞かされていた。
 串にさした具を、鍋の汁でさっと煮たもの。
 しゃぶしゃぶの、串物バージョンという風情。
 ひとつひとつのお値段は1元から数元、あるいはもうちょっとする高級な食材も。
 きのこ、豚肉、羊肉、何かの魚や貝もある。
 あらためて調べたら、西安名物というわけではなく、もともと四川省が発祥らしい。
 とはいえ、四川から他の地域への入り口的な位置に西安はあるわけで、その名物が西安でも名物あつかいとして定着しても、不思議ではないかもしれない。
 屋台でつぎつぎと具をたのんでは、辛い鍋汁で熱を加え、はふはふと食べる。
 夜市でにぎわう中、
「これこそ、なんか中国文化ですごす夜って感じだね」
 よい気分で、中華的スパイシーな香りを、胸いっぱいに吸い込んだ。
 これが、西安到着そうそうの夜だった。

串串香 しゃぶしゃぶの串バージョンみたいな名物

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