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【洛陽】中国史上唯一の女帝・武則天の都

 ホテルから見下ろすと、洛陽駅前の広場に、つぎつぎと敷布のようなものがならべられてゆく。
 ありゃ一体なに?
 なんて、少しく嫌な予感をいだいていたら、その予測は大当たりだった。
「まじか……野宿じゃん!」
 それも一人二人とか、家族分とかというレベルではなく、その数じつに数百。
 業者かなにかがとりしきって、場所をわりあてているっぽい。

「これ、日本人が真似しちゃあかんやつだ」
 ちょっぴり心を動かされたけれど、理性がそれを、おしとどめてくれた。
 一晩でもあれを経験すると、たぶん、翌朝には荷物がすっからかんになってると思うから。

 中国の富裕層は、日本人の人口をはるかに超えていると言われて久しいけれど、それでも、お金をあまりもたない庶民の数は、当然ながらそのはるか上をゆくわけで、
「こういう需要、あるんだろうなあ」
 ただし、そんな野宿の光景を目撃したの、洛陽駅のみではあったけど。

 あれから何年もたったけれど、おそらく、あの「あおぞら駅前宿」は、今でもやっていそうな気がする。

          ◯

 そういう光景も、おおらかな(?)洛陽だからこそかもしれない。
 かつての都も、前回のべた通りすっかりひなびていて、ちょっと郊外へバスで出ると、広大な畑がひろがっている。
 唐の時代なら、洛水(洛河)という川をはさんで、北側は宮殿がどっしり占拠し、その南側は市街地がひたすらひろがっていたわけだ。
 こんなふうに想像してみてほしい。
 現在の東京で、銀座や渋谷、新宿だった場所が、数百年後には畑になっている様子を。
 それほどの、うつりかわりなのだ。
 もっとも、東京のほぼ全域が、数百年前には人があまりいない湿地帯だったわけだけど……。

 なお、わたしが泊まったホテルは、唐の時代の洛陽図に照らし合わせると、がっつり宮殿の中にはいっている。
 わたしが今まさに歩いている場所を、もしかして1400年ほども前には、武則天も歩いていたかもしれないと思うと、胸が高まる。

 わたしが好きな中国の歴史人物は、ほぼ同年代に集中している。
 唐の事実上の建国者・李世民
 三蔵法師のモデルになった僧・玄奘
 中国史上唯一の女帝・武則天
 とりわけ今は、武則天になみなみならぬ関心を持っている。

 とはいえ、洛陽を訪れた当時は、彼女に関して、まだそこまで詳しくなかったのが悔やまれる。
 せいぜい、龍門石窟にて、武則天をモデルにしたと言い伝えられる〔盧舎那大仏〕を見に行った程度。
 この「モデルにした」は俗説で、実際には人々が武則天の神秘性を、この盧舎那大仏にもとめたようなところがあっただけ、と思う。
 なにしろSNSもないこの時代、偉い人の顔を知る人なんか、ほとんどいなかったのだし。

 武則天は「女のくせに皇帝になるとは、けしからん!」などと、儒教らしい男尊女卑の史観にて、あれこれと悪評を史書に書き立てられた。
 なので武則天の実相に関しては、そうした悪評にあたる部分を、かなりさっぴいて考えないといけない。
 実際には、その半世紀にもわたる治世において、農民蜂起がただの一度もおこらなかったほどの名君だったのだ。

          ◯

 ほぼ変化のない洛陽、と前回からのべてきたが、ちょっとは変化があったようだ。
 それなりに観光にも力をいれてるのか、歴史に関する施設は拡充されたようで、中国の百度地図で見てみると、〔隋唐洛陽城九洲池景区〕だの〔武則天通天塔〕だのといった施設がのっていた。
 そういえば、なんか工事してたとこ、あったなあ……と記憶をめぐらし、
(たぶん、こういうのを建設中だったんだろうな)
 もしまた再訪する機会があったら、絶対に行きたい。
 当時の建物ではないにしても、それを再現してみたところに意義があるし、当時とは多少ちがっていても、イメージの喚起くらいには、なってくれるから。

 観光というと、せいぜい行ってみたのが、

・洛陽博物館:岡山と姉妹都市らしく、桃太郎の像が立っていた
・白馬寺:中国で最初につくられた仏教寺院
・龍門石窟:ここでスケッチして、ペン画を描いてみたっけ
・少林寺:超有名観光地として、かなりボロ儲けをたくらんでた
・封神遊楽園:封神演義も好きなので行ってみたら、単なる釣り堀だった。なぜ!?
・玄奘寺:玄奘の出生地にほどちかく、幼いころにここで説法を聴いていたとか

 あれ、なんだか案外と行きまくってたようだ。
 玄奘に関しては、危険を顧みずシルクロードを踏破し、単身インドにて仏教をおさめた「信念の人」として尊敬している。
 が、最近では、わたしの中のイメージは「仏教のためなら何もためらわないサイコパス」に変わった。
 仏教のためなら法律も無視して国境から脱出するし、仏教のためなら政権へのごきげんうかがいもまったく辞さない。
 法律をやぶるのと、為政者に取り入るのとでは、真逆のように見えるが、玄奘の中ではその時どきの状況におうじて、
『仏教を世に広めるためには、これが最適解!』
 と判断した上での行動をつらぬいているだけである。
 調べてゆくうちに、イメージはかなり変わったけれど、依然として、わたしの中ではとても魅力的な超人なのだ。

          ◯

少林寺 塔林


 少林寺を訪れた時も、まあ、いろんな意味で楽しかった。
 洛陽駅から出発する、少林寺公式のバスは、あきらかにぼったくり価格。
 わたしはもちろん、他の安いバスを利用した。
 ただし、到着ってことで降ろされた場所が、山道のまんなかで、そこから少林寺へつづく道をみつけるのに、少しまごまごしたけれど。
 敷地の中はもう、めくるめく観光地の世界。
 いっそ、その俗っぽさを楽しむ方向に、気持ちの舵をきりかえることにした。
 それでも奥の方へ行ってみたら、そうした観光の手垢を感じさせないところもあったのは、ちょっと救いだった。
 武術学校も併設されていて、小中学生くらいの子供達が、ジャージ姿で武芸の稽古にはげんでいたっけ。

少林寺 武術学校


 なお……食べ物を残さない主義のわたしが、ここで、
「とても、食べられたもんじゃない……!」
 残してしまった一品に出会った。
 コーンスープである。
 中国のレストランでスープを単品で頼むと、それは通常4〜5人前を前提としていることが多い。
 それだけなら、相棒と二人でやっつけられる。
 問題は……味だった。
「あっま!」
「しかも、甘みがしつこい!」
「ていうかこれ、砂糖をお湯で溶かしたのと、あんま変わんなくね?」
 おもってたのとかなり違うだけでなく、その味付けはもはや、究極の向こう側の世界だった。

 少林寺の敷地内レストランで、処理をあきらめた大量の激甘コーンスープを前にしながら、
(そろそろ、次の目的地・西安へ移動する頃合いだなあ)
 中学生の頃からあこがれつづけた古都・長安へ、思いをはせるのだった。
 けっして、目前の不味不味スープから逃避したわけではなく。


龍門石窟のペン画

素人なりに頑張って描きつつも、技術がないとこを必死にごまかそうとしてるのが、我ながら微笑ましい。

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