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【上田】別所温泉・上松や(三) あじさいツアー

 ある年の、あじさいの季節。
 別所温泉・上松やさんが企画していた、早朝の『あじさいバスツアー』に参加してみたことがある。
 多分、上松やさんを利用した二回目か三回目の時だった気がする。

 上松やさんの会長さんが運転するミニバスで、近所の名刹やあじさいの咲き誇る小径を案内してもらう企画である。
 ゆっくり寝ていたかったなぁ、と思いつつもスマホのアラームで目覚め、お布団の国にさよならを告げる。
 でもまあ、いつもこうした企画に参加できるとは限らないし、この機会を逃すのはもったいない。

 何組かの客と一緒にミニバスへ乗り込み、出発。
 上田へは何度も来ているし、めぐる予定の場所も一度は行った経験があるけれど、誰かの案内でまわったことはない。
 ガイドがいると、新しい発見もあるものだ。

 前山寺からはじまり、龍光院などの古刹をまわる。
 龍光院は、塩田北条氏の菩提寺とのことで、そうした一族の逸話なども、会長さんは話してくれる。
 残念ながら、半分まだ夢の世界に片足をつっこんでいるわたしの脳みそでは、せっかく入った情報もすぐ蒸発してしまうが。

 道中では、人ひとりがやっと通れるような小径を一列に歩く局面もあった。
 朝露をのせた草が、ともすれば服を濡らす。
 それは大袈裟か。そうなりそうなほど細くて風情のある道だったことは確かだ。
 そのなかに咲き誇るあじさいを鑑賞しつつ、早朝の空気を胸いっぱいに吸い込む。

あじさいのこみち

 その道中、まるで流しそうめんのような仕掛けが用意された。
 流水とともに、会長さんの畑でとれた新鮮な野菜を流してくれる趣向なのだ。
 楽しい……!
 わたしたち参加客はそれらを箸ですくい、これまた手作りの味噌をつけて食す。
 あれほど甘くて香りの濃厚なプチトマトを、これまで食べたことなどなかった。

 いま、あの時の記憶を掘り起こしながらこれを書いているので、いささか幻想的すぎる描写になっているかもしれないけれど、それくらい、後になってもずっと心に残り続ける体験だったのは確かなこと。

 最後には、地元の人が開いている朝市へ立ち寄った。
 ここで、いくつかの野菜を買った記憶があるが、当然どれも新鮮で美味しかった。
 その中に、黒にんにくがあった。いかにも精力がつきそう。
 蒸し焼きにして食べるのがよろしいようで、帰宅してからは、わくわくしながら冷蔵庫へしまった。

 ところでわたしの悪い癖は、楽しみにした食材をずっととっておいてしまうことだ。
 食べてしまえばそれでおしまい。
 夢は、なるべくいつまでもとっておきたい。
 そんな性格なので、黒にんにくの運命は決まってしまっていた。
「お前、これどうする?」
 うちの夫が陰気な声で質問してくる。
 硬い皮の上からでも感触でわかるほど、中身はぐにゃぐにゃに溶けてしまっていた。いったいどれくらいの期間、後生大事にとっておいたのだろうか、わたし。

 黒にんにくなんて、まあ他でも買える代物だ。
 けれどいつかはまたリベンジして、あのあじさいツアーの朝市で得た黒にんにくを、今度こそはもったいぶらずにさっさと楽しもうと決意したわたしであった。

 なお、後生大事に楽しみをとっておいて腐らせる悪い癖は、今もって治っていない。

 上松やさんネタ、まだまだつづくよ。

前山寺

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