帰り道〜気の迷いに身を任せ〜
立川のシネマシティで、君たちはどう生きるかを観た帰り道。
電車の中で、座れなくとも寄りかかる壁を探して歩き回る。
しかし、誰もが壁の美味しい所に寄りかかっているので、いいや、僕は立って踏ん張るとしようと思った。
なかなか電車が発車しないな、いつもこんな感じだったかしら。
そう思っていた矢先、人身事故の影響により、遅れてることを知る。
あと少しで発車しそうな感じだったけど、このまま出発を待ってるのが嫌になったので、電車を降りて、駅を出ることにした。
街を歩きながら、劇場で食べきれなかったキャラメルポップコーンを食べる。
口が甘ったるいので、珈琲を飲みたくなり、喫茶店を探しながら歩く。Googleマップで調べれば早いが、今日はとりあえず、真っ直ぐ歩く事にした。
しかし、さすがは立川。何処を歩いても飲み屋しかない。壁の白い、自宅の一階を改装したような、いかにもカフェっぽい佇まいのお店を見つけ、駆けつけ、入り口に回り込むと、
そこに書いてあった文字は「おでん」。中で、おじさん達が顔を真っ赤にしている。
めげず、その道をまっすぐ進み、次に見つけたのはラーメン。その次はそば。そして、また飲み屋。
もうダメかもなと、そう思った矢先、見つけたガラス張りのカフェ。店内が暗くて、あまりやっている雰囲気じゃない。でもOpenと書いてあるし、なんならwellcomeとまで書いてあるので、勇気を出し、扉を開ける。やけに重い引き戸で僕が苦戦していると、中から店員さんが出てきて「すみません。6時で閉店なんですよー」と、言われる。ひえー、やっと見つけたのに。
流石に、このまま真っ直ぐ進んでも埒が開かないと思ったので、左折する事にする。
しかしさっきのカフェに入れなかった事から、どうせ見つからないなあこれは、と内心そう思いながら。何故か足だけは先へ先へとテクテク進む。喫茶店は無いけれど、色々と目に映る。真っ直ぐ進めば、かつて何かのお店だった建物があり、左折して細い路地を進めば、かつて、何かが建っていた土地。
生い茂って、草がはみ出てる。見渡すと新しい建物と、古い建物がごっちゃになってる。
そして猫。妙に気になるので写真を撮る事に。
とてもいい眼をしてる猫だった。車も来るので、そろそろ行こうと立ち上がると目に映ったのは、
また、猫。
なんと言う事でしょう。
なんと、なんと言う事でしょう。
仕組まれた罠じゃ無いかしらと思うくらいに、綺麗にみんな違うポーズを取ってらっしゃる。
惚れ惚れしてたら、ちょっと人の眼が気になりだしたので、その場を去る事に。
少し大きな通りに出る。おそらく左折をして大通りに沿って進めば、立川駅に戻れるんだと思う。さっきの猫'sに出会った事で、達成感か、さっきよりもやや、帰路に対して、下り坂のような重力を感じる。しかし、今日に限っては、どうにでもなれと、大きな失敗や無駄になってもいいと言うか、今日に限っては、引き際とか気にしなくていい気がしたので、1人で散歩してるにも関わらず、誰かの眼を気にするなんて、ちょっとおかしい気がしたので、折れずに直線を選び、大通りを渡ってみた。
すると現れたのが。
湯屋である。あ、いいじゃない。今日はコレでいいじゃない。昨晩風呂入りそびれたし(おい)。いいじゃんコレで!
珈琲には辿り着けませんでしたが、
コーヒー牛乳には辿り着けました。
口の中の甘いキャラメルの後味は消えてましたが、湯屋には珍しい、甘味の無い、観たことのない名前のコーヒー牛乳が、染み渡りました。
帰り道の方向は、漠然としか分からないけれど、
今はもう帰りたいと思えるので、歩いて帰ります。
コレを湯屋の休憩所で書いている最中、家族で来ていた女の子が「ようすけようすけようすけようすけ!」と、弟の名前を連呼して、振り向いた弟に両手で何かを手渡し、弟はそれを握りしめ、そのまま2人で湯屋を出て行きました。
僕と同姓同名の弟が、自身の名前をその子に呼ばれ、僕はそれを見て、その声が頭の中で鳴り響いて、音叉みたく共鳴するように、何かを思い出したような気がしながらも、今書いてるパートが一区切りつくまで書いたら、僕もここを出るとする。
髪が濡れたまま、駅があると思わしき方向に向け歩き出す。
帰る道中、すれ違う駐車場に止まっている車の中で、ライトに照らされた女性と眼が合い、なんか手招きされた気がしたが、足は止めずそのままそこを後にする。
大きな道路に出る。今まで見た道路の中で1番広いんじゃ無いかと思う。
さらに進んで分かった事がある。あれだけやたらめったら左折した上に、現在地も気にせず、迷い込んでやる、どうにでもなってみろ!と、結構たくさんの距離を果敢に歩いたのに、帰り道はどうやら一本道らしく。ああ、もう家に帰らなきゃ行けないんだなと感じる。
時刻表からズレたままだけど、電車は動きだしていて、そのままスムーズに揺られ、昨日も中央線で人身事故があった事を思い出し、考えてしまった事を、そのまま考え、やがて、一旦受け止める。
Twitterを開くと現れる、いつも通りの最悪な光景が、いつもよりも風景に見える。それは、無視するとかでは無く、関心が低いとかではなく、正しく受け取れている気がする。その事に、自身への変化を感じる。自分の中の、空洞に、本来あるべきモノが戻ってきたような感覚。
答えはすぐそばにあったはずなのに、見失ってただけと言うよりは、色々な出来事が、必要以上に見えすぎて、自分の中の空き部屋が誰かの人生で埋まってしまったような感覚から、少し取り戻せたような。ずっとそこにあったモノが、帰ってきたような気がする。し、それが俄然、気の迷いでもいいと思えた。
最寄り駅を降り、家までの帰路。正確に明記したりしないが、駅前の、僕にとって、あまり好きじゃ無い光景が、いつもより風景に見える。勇足はそのままに、微かに傾いた重力に身を任せるように、足を運ぶ。帰路の途中、やり残したことがあった気がしたけど、俄然、それが気の迷いでもいいと思えた。
あっというまに家に着いて、横たわる。横たわって、しばらくしたら立って仕事の電話をして、また横たわり、パソコンを開くのを諦め、この続きを書いている。
このまま時間が経てば、身も心も、またいつもの歯車に組み込まれ、重なり合うと思う。それでもいいと思えた。不思議と、何故か、ピッタリしっかり歯車に噛み合っているよりも、少しガタついてる時の方が、破滅的な気持ちが少なくて。逆にそう簡単に、壊れないぞと思わせてくれるのは、何故かは分からないけれど、それでもいいと思えた。その方がいいと思えた。
もう歯を磨いて寝ようと思ったのに、コレを書き上げる迷い筆の合間、空腹がお腹を鳴らしていて、僕はその音に身を任せるように、どっぷり何かを飲み込みたくなった。
終わり