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上京のはなし② | 自分のルーツについて

始めに

上京のはなし、パート2です。

私の人生における珍しいエピソードランキングではベスト3に入るであろう出来事についてのはなし、自分のルーツについてです。

自分のルーツ

みなさんは自分が産まれた過程について気になったことはありますか?

哲学的、形而上学的なはなしというより、「両親がどうやって出会って、どのような交際、結婚を経て、どのような想いで私を産んだのか」みたいな歴史的なはなし。

多くの人は大人になるまでにそれとなく当人(両親)や親族に伺える機会があったりするのかなと思うのですが、私は家庭環境的にそういった機会が充分になかったためずっとその疑問を抱えていました。

人種のるつぼと言われる多民族国家の若者は、自らの先祖や人種について知ることで"私は何者なのか"という葛藤と対峙しアイデンティティを確立していくらしいですが、その感覚に近いものなのかな、きっと。

その疑問の答えが必ずしも私に良い影響を与えるものではないことはわかっていましたが、大人になったら自分で自分のルーツを確かめにいくんだとそう決めていました。

上京したいと思ったきっかけ

私は東京で生まれ、4歳のときに両親が離婚し、父に引き取られました。父はろくに子育てができない人で、遠縁の親戚に預けられたり、たらい回しのような状況が半年ほど続いていたそうです。その状況を知った大叔母が、父から私を引き離す形で九州に住んでいる父方の祖父母のもとに預けてくれ、その後大学進学まで九州の祖父母のもとで暮らします。

そんな家庭環境だったため、両親や自分の出生について私が話を聞けるのは祖父母か大叔母だけでした。ただ私がいる場で両親の話はタブー、そんな空気がずっと流れていて、何度かそれとなく私から尋ねてみたことがあるのですが、"どんな理由であれ自分の子どもを手放した人間"について教えてあげられることはなにもない、といつも一刀両断、口を噤んでしまうのでした。

今では気持ちがわかるような気もするし、何より確かなことをみんな知らなかったのだとも思います。

小学校6年生のときに父は東京から九州に帰ってきて、私の住んでいる祖父母の家から車で1時間ほどのところに住み始めました。近所に住む親戚のおじさんみたいな感覚でたまに会ったりご飯を共にする機会ができるのですが、私ははっきりと父が嫌いでした。

子どもの目の前で堂々とタバコを吸い、粗暴で気に入らないことがあるとすぐに声を荒げる。暇なときはソーシャルゲームかパチンコ。拒絶感や嫌悪感をどうしても拭いきることができず、日常的なコミュニケーションさえ難しかったため、自分のルーツを私から父に聞いたことはありませんでした。

父や親戚からの情報に頼れなかったため、自分のルーツを知るためには母に会って話を聞くしかない、高校生のときから私はそう考えるようになりました。

そんな背景があって、社会人になる際に私は、母を探すために私の生まれた地であり母と最後に別れた地でもある東京に上京します。

そもそも消息がわからない人ってどうやって探すの?

消息がわからない人の行方を知りたい場合、まずは戸籍を見ることができるかという点が大きな分岐点になります。戸籍を見れない関係だった場合、行方を追うのがとても難しく複雑になるのですが、逆に戸籍を見れる場合はごく簡単に消息を追うことができます。

  1. 探したい人の戸籍を辿って最新の戸籍を取得

  2. 最新の戸籍から戸籍の附票を取得

戸籍の附票とは、その戸籍にいる間の住所の遍歴などが載っている書類です。住民票の住所が網羅されていて、今住んでいる住所や家族構成なんかを知ることができます。

私の場合、探したい人は実の母にあたる人物。実の母は1親等になるのですが、1親等の場合は簡単に戸籍を手に入れることができるため、消息を追うのはそれほど難しくありませんでした。

探偵気分で母親探し

中学生のときにシャーロックホームズを読んで以来、私は推理小説が大好きだったので、上京してお仕事も落ち着いてきたころ、うきうき探偵気分で母親探しを始めました。

最初は戸籍辿り。離婚した際に父の籍を除籍(別の戸籍へ移動)しているはずなので、離婚時の戸籍がある東京のとある区役所へ行きました。そこで母の戸籍を取得します。

母は戸籍を除籍(離婚)後、祖父(母の実父)の戸籍に戻っていました。そして、4年後に再び除籍。別の名字の方の戸籍に入って今に至る。この時点で得られた情報は、

  • ご存命であること

  • 離婚した4年後に再婚していること

もし元気だったら再婚しているかなとはぼんやり思っていたので驚きはありませんでした。ご存命であったことにまずは安堵します。

次は戸籍の附票です。最新の戸籍は千葉県。少し遠かったので、郵送にて母の戸籍の附票を取り寄せます。戸籍の附票から得られた情報は、

  • 現在の住民票上の住所

  • 20歳になる子どもがいる

思っていたよりも簡単に、ゴールまで辿れました。解決までわずか2週間程度。これならシャーロックホームズでなくワトソン気分でも辿り着けていたような気がします。

通して一番驚いたのは私より8つ下の妹の存在。戸籍を取得した際に再婚していたことがわかりもしかしたらとは思っていましたが、、、この年になって妹がいることを知るなんて、人生ってほんと面白いです。

イニシャルだけの差出人

住所がわかったので早速会いに、、、なんてわけにはいきません。

まず母の顔がわからないし、何より母には新しい家庭があります。母が今の家族に私の父との離婚や私の存在を話しているかわからないため、私が突然現れたら修羅場になる恐れがありました。そんなのごめんだ。

母が幸せな家庭を築いているのだとしたら、それを私の手で壊したくはない。私の存在が迷惑になるのであれば会わない方がお互いにとっていいし、母に会いたい気持ちがもしあったらそのときは会って話を聞こう、そんな風に考えました。

どうすれば母にだけ伝わるようにコンタクトを取ることができるか、悩んだ結果、差出人にイニシャルだけを記し手紙を送ることにしました。母が開封する保証はありませんが、可能な限りの配慮をもって母の気持ちを確かめる方法がこれしか思いつきませんでした。(なんか他にいい方法あったかな)

手紙には、生き別れてからの私の簡単な経緯、私のルーツを伺いたい旨、そして、返信用のメールアドレスを書きました。私の存在が今のあなたにとってお邪魔でなければメールをくださいと結び、手紙を投函しました。

母探しの結末

手紙を送って数日後、母からメールがありました。

手紙をもらってすごく驚いていること。
会ってもらえるのであれば会って謝らせてもらいたいこと。

メールの文面から私の直感が間違っていなかったことを確信します。父よりも思慮深くて優しさを持ち合わせている人だと。

早速会うことになり、お互いの住まいのちょうど中間くらいの場所になる秋葉原のカフェで待ち合わせをしました。お互い顔がわからないので、着いてから服装をラインで確認。店内をキョロキョロしていた母に私から声をかけました。

席に着いて簡単な挨拶を済ませます。私からいろんなことを聞こうと思っていたはずなのに、頭は真っ白。母の顔をジロジロ見て、やっぱり私は母方の血の方が濃いんだなとか、そんなようなことをぼーっと考えたような気がします。

私がそんな感じだったので、口火を切り出してくれたのは母でした。最初に手紙をくれたことへのお礼を、それから辛い思いをさせてしまったとお詫びをしてくれました。

母はとても柔和で気さくな雰囲気の方でした。話をしている最中にどんな質問をしても誠意を持って優しく答えてくれたり、あなたの味方だよという姿勢を話しかたや言葉遣いからすごく感じることができて、この人の話していることは信用できるな、そう思えました。

母のおかげで私は自分のルーツについて、欠けていたピースをひとつずつ埋めていくことができました。

2時間ほど話をして夕陽が登り始めたくらいに席を立ちます。会って話をしてくれたことへの感謝とこれからもまた機会があったらお話を聞きたいと伝え、20数年越しの母との時間は終わりました。

秋葉原から東京駅で乗り換え中央線へ。暖かい夕陽が差し込む車内、自分は生まれてきて良かったんだなと初めて心から思うことができて、自然と涙が溢れました。

終わりに

母とはその後、定期的に連絡を取り合っていて、たまにご飯に行く関係になりました。突如私の人生に現れた妹ちゃんともご挨拶をさせていただき、たまに3人でもランチやカフェに行っています。20歳後半になって20歳の妹が突然できた話はどこで話しても何それと面白がってもらえるエピソードです。

母親を探しに上京し、自分のルーツを知れて、本当に良かったなと思います。





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